伝統

名刀 「正宗」 ~なぜ「正宗」は名刀なのか~

2018年4月11日

名刀「正宗」
~なぜ「正宗」は名刀なのか~

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刀匠正宗 二十四代
山村綱廣氏

名刀といえば「正宗」。これは私が幼い頃からの印象である。つまり「正宗」とは子どもまでその名を知る有名な刀だった。そしてそれは刀を作った名刀工の名でもあった。近年仕事で日本文化に接することが多くなり、鎌倉で700年の伝統を守る正宗24代目山村綱廣(つなひろ)先生にお会いする機会も得て、ふっと素朴な疑問が湧いて来るようになった。正宗はなぜ名刀なのか? いろいろ資料を読み、山村先生のお話を伺っても、刀剣の世界はあまりにも奥が深く、素人の私にはその謎が解ける訳ではない。以下は私自身の作刀に関する無知、あるいは生没年が不詳であるなど謎が多い刀工達の生涯を推し量る難解さ、などを差し引いた上で、正解ではないが1つの考え方としてお読みいただければありがたい。
 
 
 

「相州伝」とは

 刀剣の歴史は大きく分けて4つの時代に分けることができる。日本刀が作られ始めたのは平安時代後期で、それまでは中国や朝鮮から伝わった反りの無い真っ直ぐな刀「直刀(ちょくとう)」だった。平安時代末期から戦国時代までに作られた刀剣を「古刀(ことう)」、それ以降明治9年に廃刀令が出されるまでに作られた刀剣を「新刀(しんとう)」、それ以降の刀剣を「現代刀(げんだいとう)」と呼んでいる。古刀期は作刀が盛んな地域に偏りがあり、現在の奈良地域にあたる「大和(やまと)」、京都の「山城(やましろ)」、岡山の「備前(びぜん)」、神奈川(鎌倉)地域の「相州(そうしゅう)」、岐阜の「美濃(みの)」で主に生産されていた。それら地域の特徴的な作風を「山城伝」「大和伝」「備前伝」「相州伝」「美濃伝」と言い、総称して「五箇伝(ごかでん)」と呼ばれる。
 鎌倉幕府5代執権北条時頼は、当時の刀鍛冶の先進地である山城から粟田口国綱(あわたぐちくにつな)、備前から備前三郎国宗(びぜんさぶろうくにむね)ら名工を招聘して、鎌倉鍛冶の作刀技術を向上させようとしたといわれており、それら名工に師事したのが、相州伝の祖といわれる新藤五国光(しんとうごくにみつ)である。国光は山城伝や備前伝の作刀技術を学び発展させることにより、幕府のお膝元である鎌倉に鎌倉鍛冶ならではの作風(相州伝)を確立しようとしたことだろう。そしてその意思を継いだのが弟子である藤三郎行光であり、相州伝を完成させたのが行光の子、五郎入道「正宗」だったといわれている。相州伝の特徴は、硬軟の鉄を混ぜ合せて鍛え、高温で焼くことにより、地肌美しく、刃紋が大きくなることであり、それまでの刀と比べて見た目にも立派で美しい物であった。

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