「能」は世界最古のミュージカル 第二章 美と情念の世界への誘い

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物語の主人公たち

 およそ620年前に「能」という演劇形式を確立した世阿弥は、1400年に「能」の理論書として『風姿花伝』を著わしました。そのなかで、能の修行法・心得・演技論・演出論を記していますが、「秘すれば花なり」(If you keep it secret, it will be a flower.)に代表されるように抽象的な表現が多く、今では哲学的な芸術論として、また日本文化特有の精神論として、様々な解説書が出版されています。
 また、彼が創作し今も演じ続けられている“現行曲”は、およそ250曲あります。
 それらはシテ(主役)の役によって「神」「男」「女」「狂」「鬼」の5つのジャンルに分けられます。昔は1回の催しで、すべてが順に1演目ずつ演じられ、途中、緊張をほぐすためにコミカルな「狂言」が演じられました

神(翁(おきな))
男(武将)

は、神の化身である翁(気品のある老人)が登場して平和や幸福や豊作を約束するという演目群(ジャンル)です。
は武将であった亡霊が、死後も戦いにおける苦しみから昇天できず、救いを求めて、現世(この世)に現れるという筋立てで、戦いの場を再現します。
は美しい女性の亡霊が主人公で、恋する想いが強いために死後も魂がこの世に漂っているという想定。あるいは天女で、美しい装束で優雅に舞う姿が見所です。
は子供を亡くした母親が思いつめて心乱れた姿など、女性の苦しみを描きます。
は、天狗や龍神など空想上の妖怪がシテとなり、良くも悪くも人の能力を超えた強烈なパワーをもつ存在を描きます

 では「女」から、世界的な絶景を舞台にした演目をご紹介しましょう

『羽衣(はごろも)』

ユネスコの世界文化遺産に登録の「三保松原」と「富士山」

 静岡県にある三保松原は、約7キロメートルの海岸に約3万本の松が生い茂り、日本のシンボルともいえる富士山を背景に海の青さと打ち寄せる白波の風景は、古代から詩歌や絵画の対象になってきました。「羽衣」も、その一つです。能はユネスコの無形文化遺産に登録されていますから、いわばユネスコの文化遺産同士であり、天女が主人公の最も美しい能と言われています

『羽衣』のあらすじ
春の朝、地元の漁師・白龍(はくりゅう)は、通りがかりに松の枝に掛かった美しい衣(ころも)を見つけます。家宝にするため持ち帰ろうとした白龍の前に、天女が現れて、その衣を返してほしいと頼みます。白龍は、はじめ聞き入れず返そうとしません。しかし、「それは“羽衣”であり、それがないと天に帰れない」と悲しむ姿に心を動かされ、天女の舞を見せてもらう代わりに返すことにします。羽衣を着た天女は、月の宮殿の様子を舞い、さらに三保松原を賛美しながら舞い続け、やがて彼方の富士山へ舞い上がり、霞にまぎれて消えていきました。

 天女の清らかさ、すがすがしさ、さわやかさは、地上の人々にとっては憧れの的であるのでしょうか、古くから最も愛され、演じ継がれてきました

 能は、定型の舞台だけでなく、野外で薪を炊き、その明かりの中で演じる「薪能」(たきぎのう)というスタイルもあります。夕暮れの幻想的な灯りの中での「羽衣」をYouTubeで見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=66TLQ5d8Ji8

 1986年にミス日本グランプリに選ばれた中村麻美(なかむらまみ)さんは、当時「羽衣伝説にみる日本人の精神的な特性」を探求する学生でした。卒業後は日本画家となり、「伝えたい日本のこころ」をテーマに、月刊『武道』の表紙絵を描いています。2020年の1月新年号に描いたのがこの絵です

 三保の松原を、名残惜しい気持ちを残しながら天上に帰る天女。背景には、日本の象徴とも言える富士山が男性的に描かれ彼女を見送っています。

麻美乃絵オフィシャルサイト https://maminoe.jp/

『羽衣』に魅せられたフランス人ダンサー

 『羽衣』には、日本人ばかりでなく、海外にも熱狂的なファンがいました。
 フランスのダンサー、エレーヌ・ジュグラリスElene Giuglarisさんは、さらなる舞踊を求めて研究するなかで『羽衣』の舞を知り、自分流に解釈してアレンジした作品を1949年に発表しました。ギメ美術館のホールでの初演は大成功をおさめ、各地を公演しました。しかし、3カ月後に羽衣の衣装をまとったまま舞台で倒れ、憧れ続けていた三保松原を訪れることなく2年後に35歳という若さでこの世を去りました。
 「私の代わりに、三保を訪ねてください」の遺言をもとに、夫が彼女の遺髪と手作りの衣装を持って来日したのは2年後でした。これに感動した地元の清水市(現在は静岡市)は、募金活動など多くの人の協力のもとに、翌年1952年に「エレーヌの碑(羽衣の碑)」を建立し、彼女の遺髪を納めました。

エレーヌの碑(Wikipediaより)

 碑には、夫のマルセル・ジュグラリス氏が亡き妻に贈った6行の詩が刻まれています。
  Le vent des vagues      三保の浦
  De la plage de Miho        波渡る風 語るなり
  Parle de celle dont à Paris,     パリにて「羽衣」に
  Hagoromo a emporte la vie.  いのちささげし わが妻のこと
  En l’écoutant mes jours    風きけば わが日々の すぎさりゆくも
  Pourront s’énfuir.         心安けし
  H. Marcel Giuglaris               (有永弘人(ありながひろと)訳)
 マルセルは、国際ジャーナリストとして、のちに日本でのフランス映画の紹介や日本映画のカンヌ国際映画祭への出品など日仏文化交流で大きな功績を残しています。

 次に、「男」からも代表的な演目をご紹介しましょう。

『八島(やしま)』

 600年前の世阿弥が、さらに120年以上前に成立したと思われる『平家物語』から題材を得た英雄の物語です。

『八島』のあらすじ
都から四国へ旅をしてきた旅の僧たちは、源氏と平氏が戦った古戦場(1185年)「八島」の浜辺を訪れます。夕闇迫る頃、一行は老いた漁師に出会います。一夜の宿を請う旅僧の求めを、老翁は侘び住まいだからと、いったん断ります。しかし、一行が都から来たと聞くと、懐かしんで泊めてくれました。僧に促されて、往時の合戦を語り始めた老翁は、義経の勇猛な戦いぶりなどを、見てきたかのように活き活きと表現します。不思議に思った僧が名を尋ねると、老翁は「義経の亡霊」であることをほのめかし、姿を消しました。そして、夜半に鎧(よろい)と兜(かぶと)姿の義経の亡霊が現れます。亡霊は、八島の合戦で不覚にも弓を流してしまったが、みずからの名を汚すものかと命を惜しまず、敵の眼前に身をさらして取り戻したことを語りました。さらに、修羅道(争いの絶えない世界)の凄まじさを見せるうちに夜が明けて、僧の夢は覚め、亡霊は白波、鴎(かもめ)の声、吹く風のなかに消えていきました。

 主人公の義経は、1185年頃に武家政治として鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟ですが、兄とのいさかいから非業の死を遂げた悲劇の武将です。
 Youtubeで公開されています。https://www.youtube.com/watch?v=O_c1gokp68U&t=81s

 義経は子どもの頃は牛若丸と呼ばれており、天狗から兵法を習ったなど話題が多く、複数の作品に登場します。次のサイトは京都の平安神宮で催された野外能ですが、2本目のビデオ「Tragic Hero: The Life of Minamoto no Yoshitsune」をご覧ください。牛若丸たちが花見で賑わう鞍馬山へ出掛け、天狗に出会う場から始まる『鞍馬天狗』では大勢の子どもたちが出演しています。さらに『橋弁慶』『祇王』『烏帽子折』『船弁慶』『正尊』と義経をシテにした演目のさわりを見ることができます。
 https://www.discoverkyoto.com/event-calendar/june/takigi-noh-heian-shrine/ (英語サイトのみ)

 能楽は、世界最古の舞台芸術として2008年にユネスコ無形遺産に指定されて以来、海外公演に招かれることが増えました。ありがたいことですが、独自の文化は自然風土と民俗の歴史から形成されます。このページを機会に「日本」への関心をより一層深めていただけましたら幸いです。

 執筆 加藤和郎(I-Media情報バザール主宰・元NHKプロデューサー&名古屋学芸大学教授)

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