世界文化遺産候補富岡製糸場とその周辺を旅する

明治30年(1897年)に開業した上信電鉄のローカル線でJR高崎駅から揺られること約1時間、辿りついたのは群馬県西部に位置するのどかな町。そこには近代日本の夜明けの面影と風光明媚な日本の原風景が広がっていた。 

近代日本の始まり“富岡製糸場” 

右側は東繭(ひがしまゆ)倉庫で その奥にブリュナ館

フランス人指導者ポール・ブリュナ一家が 暮らした住宅「ブリュナ館」

富岡製糸場を立ち上げたポール・ブリュナの情熱

 上信電鉄の上州富岡駅から徒歩15分のところにある富岡製糸場は、明治政府の掲げた日本近代化の二大政策「富国強兵(国内の経済発展を図り軍事力を強化しようとする政策)と殖産興業(生産を増やし産業を盛んにする政策)」の一翼を担うべく明治5年(1872年)に政府が最初に作った官営の器械製糸場。
 工場の建設および指導者として明治政府に雇われたのが当時30歳前半のフランス人のポール・ブリュナ(Mr. Paul Brunat)(1840-1908年)だ。ブリュナは海外から技術者を招聘し、工場で使用する器械類を輸入するとともに、日曜日休日、1日8時間労働、寄宿舎などを導入するなどフランス式の経営を採用した。製糸器械は日本人工女の体形や日本の多湿な気候に合わせた特注品。そこにはブリュナの思いやりとこだわりがあったのだろう。
 建物は西欧の木骨レンガ造と日本瓦の屋根、漆喰の目地など、日本と西欧の匠の技を融合させた和洋折衷。レンガは最も美しいといわれているフランス積み。一段にレンガの長手と小口を交互に積む方式で壁には華やかな図柄が現れる。こんなところにもフランス人の美的感覚の良さが表れていた。建物がエレガントに見えるのには理由があったのだ。

レンガのフランス積み

繰糸場の内部(画像提供 富岡市・富岡製糸場)

明治初期に女性が活躍

 操業に当たり、今では考えられないようなエピソードを聞いた。当初、工女を募集したがなかなか女性が集まらない。なぜかと調べてみると、外国人技師たちが飲む赤ワインを人の血と思いこみ、富岡製糸場に行くと外国人に生き血を取られるという噂が原因だった。その当時、庶民は赤ワインを見たことも、ましてや飲んだこともなかったであろう。
 その誤解を解くために、製糸場の初代所長尾高惇忠(おだかあつただ)は14歳の娘を第1号の工女にしたり、明治政府が全国の旧藩などに働きかけた。そんな努力もあり、名士や旧藩士の子女など約400人が集まり、製糸場は徐々に発展していった。
 工女たちは、学んだ器械製糸法の技術を郷里に持ち帰り、地元の工場などで教えたりした。明治初期、工女たちは日本の産業の近代化に大いに貢献し活躍したのだ。これはまさしくイノベーションであった。

フランス人男性の住居として建築された検査人館 ここで赤ワインを楽しんでいたのであろう

フランス人女性教師の住居として 建築された女工館

富岡製糸場
〒370-2316 群馬県富岡市富岡1-1 
TEL:0274-64-0005
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

雄大な妙義山

宿泊したホテルの客室から雄大な妙義山を望む

朝突然の絶景に息をのむ

 夕刻、富岡製糸場を見学したあと30分のドライブで到着したのがゴルフコースも併設している妙義グリーンホテル。このホテルを選んだのは天然温泉があったのも理由の1つ。チェックイン後、早速大浴場で一汗流した。食事では地元名物のこんにゃくやネギ、椎茸、鶏肉など使った鍋など郷土料理をたらふく頂いた。温泉が大好きなので床に就く前にまた大浴場に浸かり旅の疲れを癒した。
 翌朝目を覚ましカーテンを開けると、一瞬目を疑った。ここは日本かと思えるような雄大な景色が目の前に広がっていた。気が付けばアングルを変え何回もシャッターを切っていた。こんなにすがすがしい朝は、自分の人生でそうあることではないと思った。
 この日の午前は、予定のスケジュールを変更して妙義山に向かうことにした。途中目にしたのは田んぼやネギ畑の中に点在する農家の家々であった。そこには昔懐かしい日本の原風景が広がりのどかな時間が流れていた。外国人旅行者にはこういう所に訪れてもらい、日本の田舎の素晴らしさを体感してもらいたいと思った。

妙義山と手前はネギ畑

道の駅みょうぎ(みょうぎ物産センター)には 飲食店、物産直売所があり、観光情報も入手できる

妙義グリーンホテル
〒379-0208 群馬県富岡市妙義町菅原2678
TEL:0274-73-4111
http://www.myogi-hotel.com/

絢爛豪華な妙義神社

妙義神社社殿 国指定重要文化財

彩色豊かな彫刻は一見の価値あり

 ドライブの途中、妙義山の麓に立派な鳥居があったので近くにある「道の駅みょうぎ」に車を止めて散策することにした。
 一の鳥居をくぐるとその両側に旅館や土産物店が並び、前方には雄大な妙義山がそびえている。昔、辺りにはたくさん旅籠屋があり行き交う行商人で賑わっていたそうだ。
 その先の石段を登ると高さ12メートルの鮮やかな朱塗の「総門」(国指定重要文化財)があり、門の左右には社内に邪悪な者が入り込むことを防ぐ筋骨隆々の守護神「仁王様」が怖い顔をしてこちらを睨んでいた。

妙義神社一の鳥居 その脇には旅館と土産物店

総門 国指定重要文化財

 仁王様の迫力に気が引き締まったところで、更に奥へと石段を進むと趣のある彫刻が施された唐門(からもん)(国指定重要文化財)が見えて来た。彫刻がとても素晴らしい。それもそのはずで、日光東照宮の彫刻師がここに来て彫っているからだ。

唐門 国指定重要文化財

妙義神社の社殿 国指定重要文化財

 そして最後に辿り着いたのが本殿と拝殿を石の間でつないだ権現造りの黒塗りの妙義神社(国指定重要文化財)。彩色豊かな彫刻は見事の一言で、中でも黄金に輝く柱の金箔の龍は一見の価値あり。今度来るときはその背後にそびえる妙義山に登るつもりだ。

妙義神社
〒379-0201 群馬県富岡市妙義町妙義6
TEL:0274-73-2119
http://www.myougi.jp/index.html

English Page →