大坂万博のシンボル「太陽の塔」

2018-04-24

 

大坂万博のシンボル「太陽の塔」

――耐震化と保存を両立させて48年前の迫力を再び

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1970年、日本中が熱狂した日本万国博覧会(大阪万博)で、ひと際注目を浴びたのが芸術家・岡本太郎の作品「太陽の塔」だ。改修工事を経て2018年3月19日、一般公開を迎えた。オリジナルの迫力を再現しつつ、安全な展示空間へと生まれ変わった、新たな「太陽の塔」の魅力をお伝えする。

 大阪モノレールの駅を降りると、大阪万博公園の木々からにょきっと頭が出ていた。芸術家・岡本太郎(1911~96年)の作品「太陽の塔」だ。公園の入り口近くに立ち、写真では分かりづらいかもしれないが、高さ約63mの巨大なモニュメントだ。

万博記念公園に立つ「太陽の塔」(写真:菅原 由依子)

 この「太陽の塔」が2018年3月、大阪万博から48年の時を経て一般公開されることとなった。大阪府が総工費約13億8000万円をかけて耐震補強を施し、地下に展示空間を増築したのだ。

今でも見上げると存在感が凄い。塔の根元部分は直径約20m(写真:菅原 由依子)

 そもそも「太陽の塔」とはどのような作品だったのか。まずは1970年の大阪万博の写真から当時の様子を振り返ろう。大阪万博には数々の著名建築家が参加し、いくつもの個性豊かなパビリオンが会場を彩った。会場のほぼ中央を南北に貫いていたのが「シンボルゾーン」だ。ほとんどの入場者は、このシンボルゾーンを通ってから、それぞれのパビリオンへと移動する動線計画だった。

1970年大阪万博当時の写真。太陽の塔が入場者を出迎えた「シンボルゾーン」(写真提供:大阪府)

 シンボルゾーンには「太陽の塔」のほか、「大屋根」「お祭り広場」などで構成される「テーマ館」が制作され、それらは入場者に万博自体のテーマを伝える役割を担っていた。大阪万博の1日の入場者は最高83万5832人に上り、3月~9月の開幕期間での延べ入場者数は6421万8770人を記録した。

1970年の大阪万博当時の写真。「大屋根」から「太陽の塔」を見下ろした様子(写真提供:大阪府)

 
「工作物」扱いで原則非公開だった塔内

 「太陽の塔」は建築基準法上、地下1階・地上2階の仮設建築物として1970年3月に完成。閉幕後に撤去する予定だったが、保存運動が巻き起こり、人が常時立ち入らないことを前提として法規上は「工作物」という扱いで残すこととなった。
 それから約40年、黄金の顔の照明の点検などで時々人が入ることはあっても、原則的に非公開のまま月日が流れた。大阪万博の時につくられた大屋根などは外され、ぽつんと「太陽の塔」だけが公園に佇む形で、老朽化が徐々に進んでいった。

大阪万博公園の入り口から入ると正面に立つ太陽の塔(写真:菅原 由依子)

 2010年、当時の管理者だった日本万国博覧会記念機構(2014年に解散)が昭和設計に依頼して耐震診断を実施したところ、建築基準法が求める数値を下回っていることが判明した。特に弱かったのが、腕部分と塔の上部だ。
 2012年、特定行政庁である吹田市と昭和設計が改修内容について本格的に協議を開始。一般公開を視野に、法規上の整理から取り組んだ。
 改修設計で要求されたのは、耐震補強を施して安全性を確保しつつ、外観や内観のイメージを極力変えないことだった。具体的には、塔内に人を入れて一般公開するには、「工作物」から「建築物」へと法規上の扱いを変更し、そのために現在の法規にも適合させなくてはならない。そこで浮上したのが階数の考え方と耐火性能に関する法解釈の問題だ。
 太陽の塔はその独特な外観だけでなく、内部のあらゆる展示物や壁に掛けられたパネルまでもが一体となって1つの作品を構成している。腕部の鉄骨に耐火塗料を塗ることになれば、塔内の印象が変わってしまう。また非常用進入口を設けるために外壁に穴を追加で開けることも、印象が変わる上に耐震性が低くなるというデメリットがあった。

塔内の吹き抜け空間の内側には、赤色の拡散板が並ぶ。拡散板は、その突起部分が交互に続くように大きさや配置を調整し取り付けを行った(写真:菅原 由依子)

 

 

塔内には鉄鋼製のオブジェ「生命の樹」が立ち、数々の生き物の展示品が周りに添えられている(写真:菅原 由依子)

 
 最終的に地面から腕の下までを大きな1階とみなして、地下1階・地上2階建ての「準耐火建築物」とした。ただし大空間となるので、万が一の火災の避難安全性をきちんと確保するため、塔内に30分間で最大91人が滞在できることなどを検証した。

改修後の平面図。改修では、増築して地下にエントランスや展示空間を設けた(資料提供:昭和設計)

 
階段に替えてゆっくり鑑賞できる楽しさをプラス

 「太陽の塔」は、実は部分によって構造が異なる「混構造」でつくられている。地面から腕に接続する胸までの「胴体部」は鉄筋コンクリート造。両腕の間をつなぐ胸に当たる「リング部」は鉄骨鉄筋コンクリート造、「腕部」と「リング部」より上にある「頂部」は鉄骨造だ。
 工事ではそのうち胴体部と頂部にのみ耐震補強を行った。胴体部は内側全面に厚さ20cmでコンクリートを増し打ちし、頂部は既存の鉄骨フレームの内側に、さらに鉄骨造のブレース架構を増設した。
 大阪万博当時には、塔内の吹き抜け空間に4基のエスカレーターが架かっていた。ただし、来館者が多いので次々と人を移動させなくてはならず、地下から最上部までの鑑賞時間はわずか5分だったという。

太陽の塔の断面イメージ(資料:昭和設計の資料に日経アーキテクチュアが加筆)
改修後の「腕部」の内部。塗装などは既存のままで、エスカレーターなどを撤去して軽くした(写真:菅原 由依子)

 改修工事では、吹き抜けにあった4基のエスカレーターを撤去して階段へと変更した。位置関係はエスカレーターと階段で変わっていない。階段を使うことによって、実は大阪万博当時よりもじっくりと来館者がオブジェを鑑賞できるようにするのも狙いだった。

生き物たちのオブジェは、鑑賞者に訴えかけてくるような迫力に満ちていた(写真:菅原 由依子)
 
 
 
 
改修工事で新たに架けた階段を見下ろす(写真:菅原 由依子)

吸い込まれるような天井の美しさ

 塔内は吹き抜けの展示空間となっていて、やはり高さ約45mのオブジェ「生命の樹」は圧巻だった。これは生命の根源から未来に向かって噴き上げる偉大な生命力を表したものなのだという。

鉄鋼製で高さ約45mのオブジェ「生命の樹」が展示空間の中心に据えられている(写真:菅原 由依子)

 だが、上るにつれて目を離せなくなるのが、美しく光る天井「太陽の空間」だ。波打つ板は、改修工事後も再現された。赤色や青色など様々な色の照明で照らされ、吸い込まれるような演出だ。

改修後の天井「太陽の空間」は、塔全体の中で「頂部」に当たる。波型にくり抜いた板を重ね、その間に照明を仕込んでいる(写真:菅原 由依子)

 展示室2階、「腕部」のそばには「塔内演出スコア」なるものが掲示されていた。岡本太郎氏による、展示物と音響、そして照明をどのように組み合わせるかという構想を示した、いわば設計図だ。短い鑑賞時間でいかに強い印象を観客に残そうかと、考え抜いていたことが分かる。

改修後、展示室2階の壁に描かれた「塔内演出スコア」の写し(写真:菅原 由依子)

 「太陽の塔」とは、岡本太郎を中心として、クリエーターや設計者、構造家など様々な専門家が集結して実現した巨大プロジェクトだった。改修設計を担当した昭和設計建築設計部の久家一哲主査は、そうした経緯や歴史性を尊重し、設計者、施工者、内部展示のクリエイティブチームが現代の技術を導入して、岡本太郎の芸術を永久に残すことを旗印に取り組んだプロジェクトであることを説明した。

改修設計を担当した昭和設計建築設計部の久家一哲主査(写真:菅原 由依子)

 さらに、「今回、太陽の塔を一般公開することによって多くの人が岡本太郎さんの芸術作品に触れ、心をつかまれるに違いない。この作品を次の世代に引き継ぐ役割を担えたことは、誇りに思っている」と久家主査は語る。
 
 
(執筆=日経アーキテクチュア 菅原由依子)
 
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