暮らしの中に活かされ続ける和紙 〜創業およそ370年の老舗「小津和紙」を訪ねて〜

暮らしの中に活かされ続ける和紙 
〜創業およそ370年の老舗「小津和紙」を訪ねて〜

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 歌川広重の浮世絵に、江戸時代の東京日本橋界隈の賑(にぎ)わいを描いた作品がある。その中に描かれている「小津(おづ)和紙」は、現在も同じ場所で営業を続けており、まもなく創業から370年を迎える。
 小津和紙は、創業以来、全国の工房で生産された和紙を仕入れて販売してきた専門店である。現在、本社ビルでは、和紙製品の販売だけでなく、紙と日本人の関わりを示す歴史的史料の公開、書道や水墨画教室を開催するなど、和紙文化の発信拠点としての役割も担っている。希望者は和紙漉(す)きを体験することもでき、元副店長で広報担当の高木清さんが指導にあたっている。高木さんに本社ビル内を案内して頂き、日本の紙文化発展の理由と、和紙の優れた実用性について伺った。

歌川広重「東都大伝馬街繁栄之図」(1840年代) 小津の店は右奥に描かれている。

 小津和紙は紙問屋として江戸初期の1653年に創業。それまで貴族や武士に限られていた紙の使用が、広く庶民に普及し、紙の生産、消費が拡大した時代である。庶民も学問をし、読書を楽しみ、浮世絵を買い求め、現在のティッシュペーパーのような使い捨て紙も普及。古紙や紙屑を集める商売が誕生し、回収した古紙から再生紙を作るリサイクルシステムも確立した。
 19世紀に初めて日本を訪れた西洋人は、日本家屋が「木と紙で出来ている」ことに驚いたという。彼らが見たものは、障子、ふすま、など室内の建具、行灯(あんどん)や提灯(ちょうちん)といったランプシェード、傘やレインコートまでも紙で作ってしまう日本人の暮らしであった。すでに西洋には進んだ製紙技術があったが、このような紙の使い方はなく、「使い捨て紙」も無かった。その理由は、和紙の原料と製法にあるようだ。

左が洋紙、右が和紙の原料

 手漉き和紙の伝統技術は、2014年ユネスコ無形文化遺産に指定された。そのポスターの前で、高木さんは、まず和紙と洋紙の原料を見せてくれた。どちらも同じような脱脂綿に見えるが、触ってみると明らかに違う。簡単にバラバラになる洋紙の原料に対し、和紙の原料は容易に千切れない。洋紙の原料であるパルプは、様々な木を伐採し、表面の皮を剥ぎ、中心部分を粉砕したもの。一方、和紙の原材料はコウゾ、ミツマタ、ガンピ、麻など、繊維質を多く含んだ植物の皮からなり、その繊維をより細くほぐしたもの。一本一本の繊維が長く強靭(きょうじん)でしっかり絡み合うため、ちぎれにくくなるのだ。この原料が和紙をしなやかで強くする。

 和紙の製法を知る身近な素材は「紙幣」である。日本の紙幣は海外の紙幣に比べて、大変丈夫に出来ている。100回以上、丸めたり広げたりを繰り返しても破れない。これは、紙幣を製造する際に、繊維を絡ませる和紙抄(す)きの手法を使っているからである。

和紙の原材料となるコウゾの皮
和紙手漉き体験 左: 高木清さん

 西洋の紙漉き技術では、原料を繰り返し漉いて何層にも重ねていく。そのため、強度は増すが分厚い紙に仕上がる。これに対し和紙は、原料を縦横に振るという複雑な工程を経ることで繊維を絡ませ、何層にも重ねなくても丈夫な紙ができる。結果、薄く仕上げることができ、光を透過させる。また、使用する原料も少なくて済むため、資源の少ない我が国に適したエコな製法といえる。
 手漉きに限らず機械抄きであっても、この製法の違いは採用されている。洋紙は、材料を混ぜたものをベルトコンベアーの上に、超高速で同一方向に流して抄くが、和紙の場合は、ベルトコンベアーを縦横に振動させながら材料を流していく。そのため製造の速度は落ちるが、繊維が複雑に絡まり、手漉きに近い強い紙を作ることが出来る。
 独自の原料と製法を用いることで、和紙は薄くて耐久性と透光性に優れた紙になり、日本に固有の紙文化をもたらした。吸湿性も高く、高温多湿の日本の風土に合っており、大いに生活の中に取り入れられた。

 20世紀になると、国内外で紙に代わる様々な素材が発明され、大量生産されるようになり、生活の中の和紙の存在感は薄れていった。現在も和紙は書道や日本画、千代紙、茶道の懐紙など、日本の伝統文化に深く関わっているが、多くの日本人にとって今や和紙は「非日常的なもの」というイメージであろう。時代の流れもペーパーレスに向かっている。和紙の実用性に需要はあるのだろうか。
 高木さんは、令和の今、実は意外な用途で和紙が使われていることを話してくれた。
 ハムを作る燻製(くんせい)の工程で、表面に液状レーヨンを重ね塗りしてコーティングした麻100%の機械抄き和紙が使われている。筒状にしてハム肉を注入し燻製にかける。空気を通し、丈夫で簡単に破れない和紙は、燻製に最適な素材なのである。
 また、空気は通しても、大気中の微粉は通さないという和紙の特質を活かし、菓子の防菌防腐剤の小袋にも機械抄き和紙が使われている。
 さらに、和紙のマスキングテープは建築現場などで広く使用されている。普通のガムテープはきれいに剥がすことが難しいが、和紙の強くて固い繊維は粘着面にしっか貼りつくので、剥がし残しがないそうだ。

和紙の糸

 小津和紙本社ビル3階では、知られざる和紙の利用法を紹介している。和紙を細く切ってねじり、糸状にした「和紙の糸」を、化学繊維と縦横に織り混ぜて作ったタオルや靴下などは既に市販されている。軽くふんわりした優しい手触りで、もちろん何度でも洗濯できる。

 ほぼ無風の室内でもヒラヒラと舞い上がるほどの極薄和紙は、世界の美術館で作品修復に使われている。 透明性が高いので、作品の表面に張り付けても下になったオリジナルの絵画が見えなくなることはなく、裏側にも貼り付けながら補強できる。また、古い紙の色合いに馴染みやすいので、古文書の修復にも使われている。
 さらに、和紙を使った音響拡声装置も開発されている。スピーカーの代わりに、音源の前に和紙のタペストリーを置くもの。音源から和紙に骨伝導のように振動を伝え、その振動が音楽となって360度の空間に広がる。音が歪まず、遠近上下まで聞こえ、長時間聴いていても疲れないそう。

極薄和紙

 1階の店舗では、全国で生産された様々な和紙とともに、和紙を使った小物や雑貨を販売している。抗菌性を生かした洗える和紙マスクや、和紙製マスクケースは人気商品。伝統工芸としてだけでなく、和紙の可能性は広がり続けていた。

和紙小物などを扱う店舗
小津史料館

 最後に本社ビル3階にある小津資料館を見学させて頂いた。創業以来の小津和紙に関わる史料が数多く展示されている。この中に、370年にわたりビジネスを続けてこられたヒントがありそうだ。

 高木さんが、面白いエピソードがある、と示したのは、伊勢松阪にある小津本店の写真。そこには何故か数多くの炊飯設備が映っている。これは、江戸の顧客に対し、お伊勢参りの途中にある伊勢松坂の本店で無料の食事をふるまっていたことを示す。当時、江戸から往復1ヶ月に及ぶ伊勢への道中で、小津の顧客が出会う人々にこのサービスの話をすれば、小津の評判が広まる、というわけだ。江戸時代に全国的大ブームとなったお伊勢参りをビジネスチャンスとし、クチコミを宣伝に利用したのである。

伊勢松坂にある小津本店。数多くの炊飯設備が見られる

 江戸時代を通じて順風満帆だった小津も、幕末の動乱に巻き込まれたことを示す史料がある。大商人であったがために、多大な軍資金の提供を要請されたのだ。小津が幕府軍へ提供した金額は15,000両を筆頭に数枚の受領書が展示されている。全て受領書を合計して現代の価値に換算すると、数十億円になるのでは、と。
 一方で、小津は、幕府と対立する新政府軍にも相当な資金提供を行なっていた。将来どちらが政権をとっても生き残れるように、という知恵である。
 その後、幕府が倒れ、明治新政府が誕生すると、小津は新政府によって、新しい商業機構である商法會所(かいしょ)の頭取などの名誉職に任命された。幕末の柔軟な両面外交が成功したことを示している。

幕府から出された15,000両の受領書

 新時代の小津は銀行や紡績にも手を広げ多角経営を推進。関東大震災や世界大恐慌による壊滅的な打撃からも立ち直り、老舗では常識であった世襲制を廃し、柔軟な経営を進めてきた。
 小津和紙が時代を乗り越えてきた姿は、まるで強くしなやかな和紙の特徴を体現しているようだ。

≪取材協力≫
小津和紙(株式会社小津商店)
所在地:〒103-0023 東京都中央区日本橋本町三丁目6番2号 小津本館ビル
連絡先:TEL. 03-3662-1184、FAX. 03-3663-9460
定休日:日曜日・年末年始
URL: https://www.ozuwashi.net/index.html

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