上総国(千葉県)大多喜城主・本田忠朝(ほんだただとも)の逸話です。
1609年、フィリピンからメキシコに向かうスペイン船サンフランシスコ号が房総半島の沖で嵐にあい、座礁しました。難破船を見つけた村人たちは、懸命に救助活動を行ってフィリピン諸島の総督・ドン・ロドリゴと乗組員317名もの命を救いました。
城主・本田忠朝は、肌の色だけでなく言葉も異なる(当時“異人”とよばれていた外国人の)彼らを手厚く世話し、客人として尊重するよう命じます。忠朝は、鎖国政策をとる時代でも、人命の尊さだけでなく、外国との交流の大切さを認識していたのです。
忠朝の庇護を受けたロドリゴ一行は徳川家康にも接見。やがて家康が三浦按針(江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人航海士ウィリアム・アダムスの日本名)に造らせた船で帰国しました。ロドリゴたちはこのとき、日本人の心の豊かさに感謝の気持ちでいっぱいであったといいます。