島根県~神話と歴史と景観と~出雲市

2012-07-20


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 712年、今から1300年前に編纂された日本最古の歴史書『古事記』。その記述の3分の1が日本の国土誕生から始まる神話の世界を描いている。そしてその神話の多くが島根県にまつわるものだという。
 島根県では、古事記編纂1300年を記念する「神話博しまね」を2012年7月21日から114日間にわたって開催する。主会場となる出雲大社周辺と安来市、松江市の観光地を訪ねその魅力を探ってみた。


『神々が集うところ』

 出雲大社は大国主命(おおくにぬしのみこと)を主祭神とする神社で、神の国と言われる出雲地方の象徴である。『古事記』などに書かれた神話によると、日本の国づくりを行った神である大国主命が天上界の神々に国を譲った。その代償として大国主命のために創建されたのが出雲大社であるとされている。この国譲り神話では、天照大神(あまてらすおおみかみ)が交渉の使者として自分の子供のひとりを大国主命のもとに派遣したのであるが、その子孫が代々出雲大社の宮司を務めており、現在84代目である。
 「出雲縁結び空港」から出雲大社へ向かう道沿いには延々と水田が続き、いかにも米作りを中心に成立した日本文化を象徴する風景だ。日本の原風景といっていい景色を眺めていると、大都市の生活に疲れた心がホッとしているのを感じる。

 勢溜(せいだまり)*と言われる出雲大社の参道入り口には木製の鳥居がそびえる。鳥居をくぐると、他にあまり例を見ないという下り参道が続く。松並木の間の石畳を下って行くと、右手に小さな社がある。人が知らぬ間に犯しているけがれを祓い清めるといわれる祓社(はらいのやしろ)だ。ここで心身のけがれを清め、参道を更に進む。

*かつて芝居小屋や見世物小屋があり人が集まって非常に賑やかだった場所。人の勢いが集まるところという意味でこの名がついた。

 

 

 
 珍しい鉄製の鳥居とそれに続く松の並木の先にいよいよ社殿が見えてくる。松並木を過ぎると、参拝前に手と口を清める手水舎(ちょうずや)があり、その左側に大国主命の慈悲深さを表す「因幡の白ウサギ」の神話*をテーマとする銅像、右側に大国主命が縁結びの力を得たと言われる「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)」*を象徴するムスビの御神像がある。縁結びの願いが叶うということで女性に人気があるパワースポットだという。

 

 

*意地の悪い兄弟神にいじめられた白兎を慈悲深い大国主命が助け、そのお蔭で美しい女神と結婚できたという神話。

*大国主命が持っていたとされる「分裂し繁栄する力とそれを調和させ統一する力」。御神象はその力が海のかなたから光の玉となって飛んできて、大国主命にその力がある自覚をもたらした神話がテーマ。

 

 

 

 

 

 境内入口にある銅製の鳥居をくぐると、大注連縄(おおしめなわ)がひときわ目を引く御仮殿(おかりでん)*がある。御仮殿背後の本殿は1744年建立の国宝で、現在平成20年4月から5年の歳月をかけた「平成の大遷宮」による修造工事中である。大社造りの本殿が工事用の被いの中から再び姿を現すのは今年の6月上旬の予定だ。

*本殿修造中御神体が遷されている社殿(通常時の拝殿)

 

 

 

 

 工事中の本殿の付近に興味をひかれるものが2つある。
 1つは2000年に発見されたかつての本殿を支えたと思われる巨大な3本の柱の発掘跡で、平安時代の本殿は現在の倍の高さ(48メートル)であったという説を証明するものと言われている。

 

 

 また2つ目は本殿の東西に配置された細長い建物「十九社(じゅうくしゃ)」だ。旧暦の10月に全国の神様が出雲大社に集まって、男女の縁結びも含む人生諸般のことを神議(かむはかり)(神様の会議)にかけて決めるとされている。その時全国から集まった神々の宿舎となるのが十九社だという。

 年に1回全国の神が自分の土地を離れ、出雲大社に集結する。だから旧暦の10月を全国的には神無月と呼ぶが、島根県だけは神在月と呼んでいる。島根県は神々が集まる唯一の土地なのだ。

 

 

 

 

 

『謎解きのロマン』

 出雲大社に隣接する「島根県立古代出雲歴史博物館」には、ロマンを掻き立てる展示が2つある。


1つは出雲大社の本殿前から発掘された巨大な木の柱根で、鎌倉時代初期に造営された本殿の柱と推定されている。2000年に発見されたこの柱根は、それまで当時の技術では不可能とされていた高さ48mの巨大神殿の存在に現実味を与えるものだった。48mの神殿が実在であれば東大寺の大仏殿よりも高く、当時の日本における最も高い建造物といえる。

 

 同館内にはかつての巨大本殿の姿を再現する想像模型も展示されている。かつての神殿の形については諸説あるが、館内の模型もそれを反映して数種類例示されている。平安・鎌倉時代のものは現在の本殿の2倍であったが、太古の本殿は96mあったとも言われている。

 また2つ目の古代ロマンは、1980年代から90年代にかけて発見された358本もの銅剣、16本の銅矛、合計45個の銅鐸で、全て国宝に指定されている。他に類を見ない大量な太古の銅製品の発掘は、この地に壮大な権力を持った者が存在した証しであり、日本国の成立にこの地域が深く関わっていた可能性を思わせるものといえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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