先人の教えとロマンが現在に息づく北海道

国内外から年間約785万人(2015年度)の観光客が訪れている北海道。かつては蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、北海道アイヌ民族およびサハリン、カムチャッカ地方等の周辺民族と北方へ進出した和人(アイヌの立場から見たアイヌ以外の日本人)と共に営まれた歴史があった。明治時代に入ってからは国際情勢の見地から、時の明治政府は1869年に北海道開拓を所管する役所である「開拓使」を設置し、北海道と改称した。北海道アイヌ文化、そして開拓・発展の守護神として創祀された北海道神宮の歴史に触れながら観光客で賑わう今日の北海道の成り立ちをご紹介する。

北海道アイヌ文化

能登富枝さん

アイヌの衣服には魂が宿っている

 「このアイヌの民族衣装素敵でしょ!」と羽織って見せてくれたのが北海道白老町(しらおいちょう)に住むアイヌ民族の能登富枝(のととみえ)さん。昔はシナノキなどの樹木の内皮で織った「樹皮衣(じゅひい)」、サケやマスなどの魚皮を継ぎ合わせた「魚皮衣(ぎょひい)」、アザラシやヒグマなどの動物の毛皮で作った「獣皮衣(じゅうひい)」などが主流であった。江戸時代に入ると和人や他民族との交易で入手した木綿や絹製の布で作られた華やかな衣服が増え、現在では儀式や祭りで披露される舞踊のときなどに愛用されている。衣服にはその土地や家系ならではの文様が施され、文様には悪い霊が入り込まないよう魔除けの願いが込められているという。

能登家所蔵のアイヌの生活用具。左3本が神に祈りの言葉や献酒を届ける役目を担う「イクパスイ」(捧酒箸(ほうしゅばし))、右の1本が小刀の「マキリ」。

北海道にはアイヌ語由来の言葉がいっぱい

 「北海道には昔からアイヌの人々が育んできた独自の文化と言葉があって、道内には、アイヌ語に由来している言葉がたくさんあります」と、富枝さん。魚の「シシャモ」や海で泳ぐカワイイ「ラッコ」なんかもアイヌ語だそうだ。そして道内の地名のほとんどはアイヌ語に由来している。「稚内(わっかない)」という地名もその一つで、「冷たい水の沢」という意味の「ヤム・ワッカ・ナイ」から来ている。地形や植物などの自然に由来しているものが多い。

愛が籠った手作りの贈り物

 昔、若い男は好きな女性が現れると「メノコマキリ」という狩りや護身用として使える女性用の小刀を作り贈っていた。贈られた女性がそのメノコマキリを腰に下げればその愛を受け入れたことになるという。なので、男たちは精鍛込めて彫り上げたそうだ。
 逆に、女性は、「テクンペ」という狩猟などの時に手を保護するために身に着ける手甲(てっこう)という装身具を作り男性に贈った。贈られた男性がそのテクンペを身に付ければ求愛成立となる。
 男は彫刻に、女は刺繍に精魂込めて作った物をプレゼンとすることによって愛を表してきた。ちなみに、美しい富枝さんの心を射止めたご主人は、二科展にも入選したことのある彫刻家である。​

メノコマキリ(女性用の小刀)

テクンペ(手甲)

アイヌ民族知里幸恵の功績

 記者のアイヌ文化をより深く知りたいという要求に応え、富枝さんが案内してくれたのが、登別市にある「知里幸恵 銀のしずく記念館」。記念館には、アイヌ民族・文化の伝承・保存に多大なる貢献をしたアイヌ民族知里幸恵(ちりゆきえ)(1903-22)の遺品や関連図書などが展示されている。
 若き天才女性幸恵は、明治政府のアイヌ民族の和風化政策により生活および経済的基盤が破壊され、文化も失われようとしていた時代に、言語学者でアイヌ言語学者の金田一京助(1882-1971)と出会う。この出会いによりアイヌの精神の素晴らしさに目覚め、民族の誇りを取り戻し民族の伝承などを一冊の本にまとめた。これが、後にさまざまな人たちに感銘と影響を与え続けているアイヌの物語を文字化した「アイヌ神謡集」だ。幸恵の活動がアイヌのユーカラを初め、口承文芸を見直す契機となり、アイヌ民族自らが自分の口承文芸の素晴らしさを知り、保存するきっかけにもなった。興味のある人はぜひ足を運んでもらいたい。

銀のしずく記念館の展示室

知里幸恵さん

自然と神に感謝の念を忘れない

 最後に、富枝さんが大切にしていることと、日々の楽しみについて聞いてみた。
「海・川には魚、野山には食糧となる山菜そして動植物が生存していますが、全てを獲りつくすのではなく来年、そして未来のために必ず残すことが重要だと思っています。食物は残さず全部頂いています。自然の恵みに感謝し、神に対して尊敬の念を持って暮らしています」。自然に対する畏敬の念、共生の重要性、命の尊さ。これは現代に生きる我々が改めて考えていかなければならない大切なことだ。
 「楽しみ...年に数回、民族衣装を着てお祭りやイベントでアイヌの踊りを披露することね!」その富枝さんの言葉に、民族の誇りを胸に感じて躍る富枝さんの姿が目に浮かんだ。

北海道開拓の父「島義勇」と北海道の総鎮守「北海道神宮」

北海道神宮神門より拝殿を望む(撮影 富井純朗(とみいじゅんろう)) *写真の無断使用は禁止します

島義勇の広い視野と先見性

 今から約150年前、小高い丘から札幌の原野を眺める1人の男がいた。「この地を世界一の都に築きあげよう!」その男こそが、「北海道開拓の父」とも呼ばれる幕末から明治初期に活躍した佐賀藩士の島義勇(しまよしたけ)(1822-74)だ。
 1869年、明治天皇より蝦夷地の開拓判官に任命された島は、寒さが厳しい札幌本府(現在の札幌市)を中心に都市建設を進めた。広大な石狩平野に、碁盤の目のような整然とした街並みを作り、国内外への交通の拠点となる世界一の都を築くという壮大な構想を描いていた。このロマンこそが、人口およそ200万人を誇る大都市札幌の今の繁栄に繋がっている。世界を見渡しても年間6メートルを超える積雪に100万人以上の人が暮らす都市は、札幌以外には例がないという。

北海道の総鎮守(そうちんじゅ)北海道神宮

 北海道の開拓に伴い、1869年に明治天皇が、開拓・発展の守護神として三柱の神々(北海道の国土の神、国土経営・開拓の神、国土経営・医療・酒造の神)を開拓使に託したのが北海道神宮の始まりで、島が鎮座地(神様が住まわれる神社の場所)を決めたとされている。当初は「札幌神社」と称していたが、1964年に明治天皇を増祀(ぞうし)(お祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称された。
 境内には、島義勇の功績を称え100年祭にあたる1974年に島義勇の銅像が建立された。今でも遠くを見据えている姿が印象的だ。また、札幌市役所1階ロビーにも建立されている。

島義勇の銅像

外国人観光客で賑わう北海道神宮

 ここ数年、北海道を訪れる外国人観光客の増加に伴い、北海道神宮を訪れる外国人も増えているという。北海道神宮で外国人接遇もされている権禰宜(ごんねぎ)の伊藤勇氏に話を伺った。

― 年間、どのくらい方が海外から訪れますか。
 「昨年(2015年)は年間約23万人の外国の方にお越しいただきましたが、その約5割が台湾からで、次に多いのが韓国や中国といったところです。最近タイやマレーシア、インドネシアなどの東南アジアの国々も増えています」
― マレーシアやインドネシアなどのイスラム教徒の人たちも参拝をされていますか。
 「きちんと日本の文化等を説明すると、全員ではありませんが参拝されています」。

4基の神輿と9基の山車が札幌中心部を練り歩く「神輿渡御(みこしとぎょ)」

― 外国人を案内されていて文化の違いなど何か感じていることはありますか。
 「外国の人たちが興味を持つのが手水(てみず)です。一日中流れている水を見て、日本は水が豊富な国だと思うようです。日本人が冬の冷たい水でも手を清めることにも驚いています」、
 「参拝の後に、おみくじをされる外国人がたくさんいます。ですので、北海道神宮では、英語と中国語のおみくじを用意しています。また、絵馬に自分の願いごとなどを書いていかれる方が増えています」

英語のおみくじコーナー

タイ語で書かれた絵馬

― 最後に北海道神宮の楽しみ方を教えてください。
 「約18万㎡の緑あふれる広大な境内には、野生のエゾリスやキタキツネなどが生息しています。春になると境内にある約1,400本の桜が開花しますので、たくさんの花見客で賑わっています。この花見の時期だけですが、参道脇でバーベキューをすることができます」
 「運が良ければ神宮で行われている結婚式を見ることができます。角隠しに白無垢姿の花嫁さんをカメラに収めようと、ちょっと人でごった返しますが、北海道神宮ならではの日本文化をご紹介できる機会だと捉えています」
 「北海道神宮は、年中行事のお祭りなどで、人が集う交流の場ともなっています」

満開の桜

新成人寒中禊
(撮影 富井純朗) *写真の無断使用は禁止します

取材協力
知里幸恵 銀のしずく記念館

http://www9.plala.or.jp/shirokanipe/ (日本語)
北海道神宮
http://www.hokkaidojingu.or.jp/ (日本語)
http://www.hokkaidojingu.or.jp/eng/index.html (英語)
http://www.hokkaidojingu.or.jp/china/index.html (繁体字)

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