秀衡塗の古代椀は16世紀頃には造られていて、当時の模様やデザインのお椀を地元の人たちは「秀衡椀」と呼んでいました。この地の漆工芸の文化において、中尊寺金色堂が漆、金、螺鈿(らでん)などで装飾されていることから分かるように、高い漆技術が既に存在していました。また、漆を塗るときに使う刷毛(はけ)や漆をこした紙など当時の道具なども発掘されていることから、秀衡塗の起源は、奥州藤原氏三代秀衡が京都から漆職人を呼び寄せてお椀などを作らせたという説もあります。しかし、今日までに発見されている古代秀衡椀は、残念ながら秀衡の時代(12世紀)に作られたものではありません。でも、漆文化はずっと生き続け、秀衡椀と呼ばれるこのお椀のスタイルは職人たちによって今も守り作られています。