日本の祈り 第1部 徳島県遍路体験

弘法大師空海(774~835年)が若き日に修行をした場所を巡る旅、四国八十八箇所霊場巡礼、いわゆる四国遍路(しこくへんろ)は、信仰の旅であると同時に、若者たちにとっては通過儀礼(イニシエーション)の意味も持っている。近年はバスや車を利用した「車遍路」が一般的だが、修行僧や修験者が行った本来の修行に近い形の「歩き遍路」も、退職後の元気なシニア世代や若者の間で根強い人気がある。また歩き遍路は外国人旅行者の間でも、比較的安価に深い文化体験ができる旅として好評だ。

 

弘法大師空海と四国遍路


空海は774年に生まれ、若くして都の大学で官僚候補生として学んだが、勉学に飽き足らず19歳のとき四国の山林での修行に入った。その後出家して804年遣唐使の留学僧として唐に渡り、真言密教と土木技術・薬学などを学び2年後に帰国した。816年高野山開創に着手。弘法大師の死後弟子たちがその足跡を辿って遍歴の旅を始めたのが四国遍路の原型とされており、江戸時代になるとそれが庶民にまで広がった。

 

遍路の服装とマナー

 

 四国八十八霊場のスタート地点である徳島県の一番札所霊山寺(りょうぜんじ)から「歩き遍路」を体験した。まず寺の門前にある遍路用品店で必要なものを調達する。遍路のフル装備は略図(マンガ)に示すとおりだが、実際は写真にあるように各自自分のスタイルで自由である。
 参拝の基本的な手順とマナーは以下のとおり。⑴ 各寺の山門にて合掌一礼。⑵ 水屋(みずや)で手と口を清める。⑶ (許可されているお寺では)鐘楼で鐘を突く。⑷ 本堂にて名前・日付・住所等を書いた納札を収め、ろうそく・線香・賽銭(さいせん)をあげ、経を読む。⑸ 大師堂にて⑷と同様にする。⑹ 納経所で参拝の証拠として印を頂く。⑺ 山門にて振り返り合掌一礼する。
 四国遍路はその人の宗教を問うことはなく、弘法大師信仰も強制されないので、真言宗の信者でなくても、外国人であっても自由に体験して自分と向き合えばよいという。

個性ある寺と遍路道を楽しもう

 

 四国遍路の楽しみの1つは、寺がそれぞれユニークな特徴を持っている点だ。山門や本堂の色や形も違うが、その他にも庭に特徴があるところ、周囲の風景に趣がある場所、仏像の種類や数が豊富な寺など興味は尽きない。
 交通網が整備された現代では歩き遍路で辿る道の多くは一般道だ。それでも途中昔からの遍路道を通ることがある。草原に人が歩いたところだけ細い道ができており、そこを歩くときには弘法大師をはじめかつてここを通った人や、今自分の先や後を歩いている人たちとのつながりを感じる。
 もうひとつ遍路道やお寺で驚かされることがある。「お接待」というお遍路さんをもてなす地元の人の習慣で、今回の取材中も数キロの区間一緒に歩いて道やお寺のことを教えてくれた人、お寺の境内で手作りの記念品をくれた人など、人のつながりが少なくなった現代ではとても珍しい体験をした。人間関係の距離感が分からず、最初は面食らったが、後で考えてみると最も心に残った経験だった。

遍路の目的は供養とイニシエーション

 

 宿坊6番札所「安楽寺」の畠田秀峰(はたけだしゅうほう)住職にお話を伺った。

― お遍路の目的で多いのはなんですか?
 最も多いのが先祖(家族)の供養です。先立たれた親・配偶者・子供などを想い、その供養のために遍路をされています。病気平癒などの願をかけて回る方もおり、八十八箇所を巡り遂げることを「結願(けちがん)」といいます。

― 若い人は自分探しの旅と考えているようですね。
 弘法大師空海が初めて四国を修行して歩いたのが19歳の時です。これは空海にとっても自分探しの修行の旅だったのです。ですから四国遍路と青年が大人になるためのイニシエーションとは非常にシックリ来ると思います。

― 四国遍路は宗教も問わず、観光的な要素も強いようですね。
 日本の仏教は元々あった原始自然宗教に仏教哲学を取り入れたもので、寛容な宗教観を持っています。観光感覚でも「気持ちが軽くなった」「元気になった」と感じられれば結構です。でも空海やその他の修験者たちのころは、遍路道も険しく食料もなく、非常に厳しい修行の旅であったことは忘れないでください。お接待の習慣も厳しい旅をする者に対する同情から生まれたものです。あくまで四国遍路は自分を見つめ、心の中に仏心を見つける宗教的な旅なのです。

― 外国の方はよくいらっしゃいますか。
 欧米の方を中心に、日本文化に深い興味があって歩き遍路をやられる方が多いです。珍しいところでは、先日ロシア人のグループが泊られて夕食の後2 時間も議論しました。今ロシアでは自然宗教への回帰が憧れという形で起こっており、日本の宗教観にとても興味があると言っていました。

 

人それぞれの歩き遍路

 17番井戸寺から13番大日寺まで逆に歩いてみた。

 鹿児島県から歩いてきたという真言宗大国寺の平野眞照(しんしょう)さんは、まさに修行僧だった。「1日65km は歩くのでそれほど日数はかかっていません」という。通常の歩き遍路は1日30kmが目安なので倍以上のスピードだ。四国遍路およそ1,200kmを歩いてからまた九州へ歩いて戻るそうだ。

 兵庫県の坂田史朗さんは定年退職した記念と、先立った奥様の供養で歩き遍路をしているという。そのすがすがしい笑顔がとても印象的だった。

 福岡県の中島史生(しお)さんは26歳。飲食店で3年勤めて退職し、自転車で日本一周の旅をする途中、歩き遍路に挑戦しているという。将来の夢はと聞くと「有機農業をやりながら無農薬野菜を使った飲食店を経営することです」と明確な答が返ってきた。

 ドイツ人のクラウス(Klaus)さんは、昨年およそ50日かけて四国遍路を結願し、今回が2回目だ。「昨年は旅の途中で財布をなくしました。誰かが見つけてくれて、次の寺に届けてくれたんです。私は財布の中身を調べる必要がないのを知っていました。何もなくなるはずがない。それが四国の旅です」誰にでも遍路体験を勧めるかと質問すると少し考えてこう答えた。「私は日本語を話しません。それでも日本の文化が好きですし、日本人に対する理解も深いので全く問題がありません。日本文化に対する興味や理解があまりなく、不自由を楽しめない人には苦痛な旅になるかも知れませんね」

 四国遍路は自分と向き合う旅であり、特に歩き遍路は人と出会う旅でもある。人生の区切りや岐路に立ったとき、また閉塞感を感じた時などに人が四国へ向かいたくなる理由が分かる気がした。

 外国人観光客にとっても、クラウスさんの忠告を聞いた上で数日間四国を歩くことは、日本文化に関する深い理解につながる旅となるだろう。英語、韓国語、中国語繁体字・簡体字で書かれた案内書兼地図は、第1番札所霊山寺で入手できる。また参考となるホームページを以下にご紹介する。

巡るめく四国:http://www.shikoku.gr.jp/henro/

 

写真:君和田富美夫

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