針江 生水の郷 ~川端と水辺の暮らし~

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「川端(かばた)」という言葉を聞いたことがあるだろうか。琵琶湖の西岸、滋賀県高島市の針江地域では、比良(ひら)山地からの伏流水が自噴しており、住民は古くからこの湧水を「生水(しょうず)」と呼んで生活水として利用してきた。上水道が普及する以前は、飲料・炊事・洗濯など全ての生活用水は生水でまかなっていた。また各家や共同の洗い場で生水が湧き出す場所を「川端(かばた)」と呼び、自然から水をいただける場所、人々が集う場所として大切にされてきた。その後、上下水道が普及して川端は廃れかかったが、近年の「水」や人里近くの自然である「里山」を大切にする環境保全意識の高まりの中で、この湧水利用システムが注目されるようになった。特に2004年に、針江の川端を取り上げたNHK映像詩「里山-命めぐる水辺」が放映されると、国内外から大きな反響があった。私自身もその映像に感動した記憶があり、いつか訪れてみたいと思っていたが、今回その願いが叶い「針江生水の郷委員会」の方にご案内いただいた。

針江の氏神様「日吉神社」前の針江大川と、輸送手段が田舟(たぶね)だったころの船着き場

日吉神社前で説明する「針江生水の郷委員会」の三宅進会長(手前)

梅花藻が育つきれいな川​​

 2019年5月半ばの快晴の日に、針江地区公民館横にある針江生水の郷委員会事務所を訪ねた。当日は委員会会長の三宅進さんにご案内いただいた。
まず公民館と日吉神社の間を流れる針江大川の流れを眺めながら生水の郷の説明が始まった。大川という名の割に川幅はあまり広くないが、流れる水は澄みきって強い日差しに緑色の藻が輝いていた。やはり湧水地帯である静岡県三島市を訪れたことのある私は、「梅花藻(ばいかも)ですか?」と聞いた。三宅さんは「そうです」と嬉しそうに答えた。白い小さな梅花のような花を咲かせる梅花藻は、きれいな水にしか生息できず、それだけで針江大川の水質がいかに良いかの証拠である。
 川の両岸の家から流れ込む水は、排水ではなく川端からコンコンと流れ出る生水だという。汚水は下水道に流しているので、水路や川には混じらない。また年に4回、3月・5月・7月・11月には区民総出で大川の掃除をする。梅花藻以外の川藻はその際に排除される。そうしてしっかりと維持管理されているため、5月下旬から6月にかけて川沿いにホタルが舞い、夏には子供たちが水遊びをする。大きなスチロール板に乗って川下りを楽しむ子供たちの様子が目に浮かぶようだった。

透き通った川面に揺れる梅花藻とその白い小さな花

三宅さんの川端(壺池で野菜を冷やし、端池でコイを飼い、水路[図、写真とも左側]につながる)

川端(かばた)とは​​​​

 次は三宅さんの自宅にある川端を実際に見せていただいた。川端の仕組みは右の図に示すとおり。地下水脈から湧き出す生水は、まず壺(つぼ)池に溜まり、溢れた水は端池(はたいけ)に流れ落ちる。さらに多くの川端は水路で近所の家にもつながっている。
 生水だけが生活用水だったころは、生水を飲み、壺池の水で野菜を洗い、食べ物のカスは端池に飼われているコイやマスなどのエサになった。周りの家とつながっている水路を汚さないため、野菜の泥を洗った後などひどく汚れた水は

川端の略図(針江生水の郷委員会提供)

川端に飾られる花は水の神様に捧げる感謝の気持ち

川端に流さず畑などに捨てたという。現代では上下水道も整備されているため、洗い物などは台所で行い下水道に流し、コイに残飯を食べさせることは少ないという。三宅さんは端池のコイや金魚を指して、「今ではコイはペットです」と笑った。
 上下水道が普及したころ、川端は時代遅れで消えゆく運命という考え方が住民の間でも強くなったという。ただ長い間大切な生活用水として使ってきた世代がまだ居たこと、また嘉田(かだ)由紀子元滋賀県知事などが、地域文化としての川端の大切さを説いていたこと、そして2004年にNHKで放送されて大きな反響を得たことなどで、再評価の気運が高まった。現在は110戸ほどの家で生水を使っており、その内約90戸が川端を残している。​

色々な顔を持つ川端​​​​

 針江の街中を散策して、その他の川端も見学した。最初はやはり針江生水の郷委員会員である福田千代子さんの外(そと)川端。川端には母屋の中にある内(うち)川端と、別棟の小屋になっている外川端、また屋外にあって、住人以外が使うことも許されている川端がある。三宅さんと福田さんの川端はどちらも外川端だ。生水は年間通して12~14℃とほぼ一定の水温を保っている。水道水と違い夏は冷たく、冬は温かく感じる。夏場に壷池で冷やした野菜やスイカは、みずみずしく適度に冷たくとても美味しいという。​

*福田さんの外川端の動画:https://youtu.be/2IAWc1ZSSU4

 さらに散策を続け、三宅さんと曹洞宗正伝寺(しょうでんじ)の境内を訪れた。まずは建物の中の内川端を覗くと、一般の家庭とは比較できないくらい多くの漬物を漬けた樽が置かれていた。川端は水温が一定のため、発酵食品を保管するのに都合が良いらしい。境内の中央あたりには、外部の人も飲んで良い川端(写真左)がある。飲食店の人が朝一日分の飲料水をくみに来るという。

 花に囲まれ、竹の一輪挿しが和の雰囲気を感じさせる川端(写真右)では、夏の暑い日に通学途中の小学生が、美味しそうに生水を飲んでいるそうだ。

*和風川端の動画:https://youtu.be/xe4LC8nomzg

 100年を超える歴史がある上原豆腐店では、創業以来川端の水で豆腐を作り、壺池の水にさらして販売している。川端で冷やした豆腐が美味しく、家に帰るのが待ちきれずにその場で食べる人もいるそうだ。

色々な顔を持つ川端​​​​

 続いて、車に乗り水田地域に移動した。田植えをしたばかりの田んぼの近くに、一見耕作放棄地かと見間違える草の生い茂った湿地がある。これは「水すまし水田」と呼ばれ、本来は農作業で濁った水を浄化する目的の水田だ。それに水路や魚道を配することで、魚の産卵や生育を助けるビオトープとしての環境効果が期待されている。実際に琵琶湖固有種のスジシマドジョウが、飛躍的に増大しているという調査結果も出ている。​

内湖の景観(左側の水門から琵琶湖へ流れ出る)

 川端から流れ出た湧水や水田の水は、水路や河川を通って「中島(なかじま)」という内湖(ないこ)に流れ込み、内湖のヨシ原などで浄化され、上澄みの比較的きれいな水だけが琵琶湖に流れ出る仕組みになっている。​

内湖の景観(左側の水門から琵琶湖へ流れ出る)

 琵琶湖針江浜の湿地帯にはヨシが群生している。このヨシ群落は水辺の生物の産卵場、餌場として生活空間を形成するとともに、水質浄化を促進する役割を果たしているという。​

伝統的焼杉壁の建物​​​​

 水辺の暮らしと直接関係はないが、川端見学をしながら散策していると、針江地区の家は「焼杉外壁」の家が多い事に気がつく。焼杉板は滋賀県以西で使用される伝統技法で、杉板の表面を焼いて炭化させることにより、耐候性、耐久性が高く、腐食や虫食いにも強い。深みのある黒い炭色や独特の質感が落ち着いた雰囲気を醸し出している。​

生水の郷委員会の活動​​​​​​

 およそ3時間かけて丁寧に案内していただいた後、三宅さんに委員会のことを伺った。2004年にNHKの番組で針江の生活が紹介されたのをきっかけに来訪者が増え、その案内活動と自然環境保全を目的に生水の郷委員会が発足した。現在委員は63名。ほとんどの川端は個人の敷地内にあるため、見学者が勝手に見ることができない。そこでガイドが案内して、針江の自然環境と人々の生活を紹介している。ガイドの人数は平日が5名、土日は9名ほどで対応している。案内料は一般見学者の場合、川端と街中のみのコースが1,000円/人、内湖や琵琶湖湖畔まで含むと2,000円/人であり、案内料収入は地域の環境整備・保全などに利用されている。2018年度は約6000人が訪れたという。
 環境保全活動としては、針江大川や中島の清掃と川藻の除去、枯れたヨシの刈り取りと火入れ(ヨシ焼き)などを行っている。
 針江では昔から湧水を生水と表わしているが、委員会設立当初、清らかな湧水を表わす「清水(しょうず)」か「生水」と表わすかで議論したという。その時、湧水が多くの生き物や植物を生かしてくれており、人間の生活にも直結しているという意味で「生水」を使うことに決めた。針江の人は自然からいただいている水を粗末に扱わないなど、水に関わる「わきまえ」を代々親から受け継いでいる。生水の郷委員会は、川端文化や地域の環境保全に寄与したいと考えているが、「針江を観光地にはしたくない」という。観光地として人気が出ると本来の魅力を見失う地域がある。三宅会長の最後の言葉に、針江地区の人々のわきまえと英知を感じた。​

≪取材協力≫
針江生水の郷委員会(事務局)
滋賀県高島市新旭町針江372 針江公民館前
電話: 0740-25-6566(FAX兼用)
公式ウェブサイト:http://harie-syozu.jp/
 
≪参考文献≫
『台所を川は流れる』
―地下水脈の上に立つ針江集落―
2010年7月31日発行
著者:小坂 育子
発行:株式会社 新評論

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