祇園花街芸術資料館 凛とした美しさ-花街の文化

祇園花街芸術資料館

凛とした美しさ-花街の文化

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 皆を一瞬でとりこにする圧倒的美しさ。着物、帯、履物など博物館に納めてもよいような芸術の粋を身にまとい、日々たゆまぬ努力と稽古の賜物である指先まで優雅で凛(りん)とした立ち振る舞い、京ことばが日本人のDNAのみならず、海を越えて訪れる人々心の底にもずしん、と響くに違いない

 ただ、その芸術と美しさに触れる機会はそう簡単ではなかった。しかし、このだび2024年5月、祇園甲部(ぎおんこうぶ)で、江戸時代から続く伝統を体感できる「祇園 花街(かがい)芸術資料館」が開館となった。芸妓さん、舞妓さんの学校「八坂女紅場学園(やさかにょこばがくえん)」などで作る実行委員会が運営。芸妓さん、舞妓さんの世界を展示するとともに、オプションで京舞鑑賞、芸妓さん、舞妓さんとの記念写真を撮ることもできる。1913年に造られた池泉(ちせん)庭園に面し、国指定登録有形文化財「八坂倶楽部(やさかくらぶ)」の建物内に設置され、同じく1913年竣工国指定登録有形文化財「祇園甲部歌舞練場」に隣接、祇園に花を添える独特の建築様式も見どころとなっている。ショップやカフェも完備され、充実の施設である

 祇園花街芸術資料館を訪ね、企画統括の菊間康成(きくまやすなり)氏からお話を伺った。資料館の目的は、芸妓さん、舞妓さんの正しい理解を深めるための情報を訪問客に伝えてゆく。例えば、まだ外国の方々には「ゲイシャ」と呼ばれることもあるが、京都では「芸妓さん、舞妓さん」と呼ぶことにはじまり、祇園の芸術文化を社会に適切にアピールしてゆく。1日15000人の祇園花見小路を訪れる観光客に、祇園文化を大切にしていることをお見せした。開館以来、90カ国ほどからの訪問があり、世界に祇園の芸術文化を伝える一助となっている。また花街の文化を歴史とせずに未来につなげてゆく努力も続けたい

 館内には芸妓さん、舞妓さんの芸術・文化・生活について、理解しやすい説明パネルとともに展示されており、QRコードを読み込むと英語での説明も得ることができる。7~8割は外国人訪問客で占められる。庭園を眺めながら座れるスペースもあり、ゆっくり雰囲気に浸る方々の姿もあった。展示を見てゆくと、着物やかんざし等の芸術品に加え、芸妓さん、舞妓さんの生活、しきたり等が順を追って理解できるように工夫されており、普段なかなか聞くことができない疑問に答えてくれる。館内の案内の前に、予備知識を

京都五花街 京都には五つの花街がある。祇園甲部、祇園東、上七軒(かみしちけん)、宮川町(みやがわちょう)、先斗町(ぽんとちょう)。
 「祇園花街芸術資料館」を運営する祇園甲部は、江戸寛永年間(17世紀前半)に八坂神社を訪れる多くの参拝客をもてなした頃から発展した。

お茶屋さん この独特のシステムを理解するのは少し難しいが、究極のコンシェルジュ、総合世話人。芸妓さん、舞妓さんのお座敷を食事とともに提供する、それに付随した車、必要とあれば劇場の切符、お土産なども手配し、料金を立て替えて支払ってくれる。このことからお茶屋さんを利用するには、十分の信用が必要になる。信用のある先達の紹介がなければお世話になることができない。レストランではないので、食事は、「仕出し屋はん」が届けてくれる。お茶屋さんに一種の「口座」を持つには、長いごひいきが必要。

 「おもてなし」は一方通行ではなく、客側も、もてなす側への深い尊敬と、ご贔屓(ひいき)(芸妓さん、舞妓さんを招いてのお座敷(宴会)を手配する等、いろいろな場面で彼らをサポートする人)になる矜持(きょうじ)と覚悟が必要となる。日本文化、芸術全体への理解と支える力をもってこそ、一流のもてなしを受けることができる究極の場であり、日本のもてなしの根底に流れる本物のしきたりである。

置屋さん 舞妓さんが住み込み、女将から祇園の習慣、立ち振る舞い、京ことば、芸を学ぶ住居。着物やかんざしの準備、着付け、化粧も学ぶ。家族のように生活するため、女将をおかあさん、先輩の芸妓さんはおねえさんと呼ぶ。

舞妓さんになるまで 最初は「仕込みさん」と呼ばれ、早い人では中学を卒業してから、置屋さんに住み込みお稽古を始める。置屋での家事をしながら、舞のお稽古に通い、白粉(おしろい)の仕方、着付けを学び、祇園のしきたりに慣れていく。お稽古は舞、能楽、各種唄い、三味線、笛、鳴物、茶道、華道、書道など。
 1年くらいで舞のお師匠さんからお許しが出ると「見習いさん」になる。お座敷での学び、ご贔屓さんへの挨拶、舞を披露できるときもあるが、舞妓さん独特のだらりの帯の半分の「半だらりの帯」と袂(たもと)の短い着物で、口紅も下唇にだけ引くことができる。1か月くらいで「お店出し」として舞妓さんとしてデビューする。この日は黒紋付を着て1軒ずつお茶屋さんを訪ね「よろしゅうおたの申します」と挨拶に回る。

舞妓さん 華やかな友禅の着物、美しい柄の襟、だらりの帯、ぽっちりと呼ばれる帯留め(代々置屋さんに伝わるものも)、花かんざし、おこぼ(履物)を履く。またデビューして1年くらいすると上唇に紅を引ける。お座敷で経験を重ね、花街の行事を何度も経て、たゆまずお稽古を重ねて努力を惜しまないことが、いっそう洗練された舞妓さんとなり、人々を引き付ける。「だらりの帯」は(5.4m、6㎏)柄もさまざま。おめでたい絵柄を集めたもの、干支など。帯の下の部分にそれぞれが所属する置屋さんの家紋が入っている。着物と帯を合わせると相当な重量があり、毎日着付け専門の「男衆(おとこし)さん」がお座敷の時間に合わせて着付に来てくれる。

芸妓さん 舞妓さんを20代前半で卒業すると、白い襟の大人っぽい襟に「襟替え」をし、芸妓さんと呼ばれる。
 舞妓さんとしての最後の数日間は、髪型も変え黒紋付でお座敷に上がる。今まで自分の髪で結っていた髪が島田のかつらに替わり、着物の袖が短く、帯も普通の長さ、紐の帯留め、履物も「おこぼ」は履かない。
 置屋さんでの生活も卒業し、独り立ちとなる。芸妓さんには、「立ち方」と「地方(じかた)」という役割があり、立ち方さんは舞、笛、鳴り物、地方さんは三味線、唄を担当。お座敷に合った演目を選び、いよいよ華やかさと艶やかさを合わせ持つ、芸と接遇のプロとなってゆく。

京舞 井上流 1767年生まれ初代井上サトから200年の歴史。三世が35歳のとき、1872年第一回京都博覧会の際、祇園万亭(現「一力亭(いちりきてい)」)の九代目当主、杉浦次郎右衛門氏に時の副知事が意見を求め「都をどり」の始まりとなった。現在も厳しく伝統を受け継いでいる。祇園甲部の舞として御所風、能風で格調高い。
 現在五世井上八千代お家元は1956年生まれ。2015年に人間国宝に認定された。
 現在も祇園甲部「一力亭」の女将であり、芸妓さん、舞妓さんの学校、八坂女紅場学園の理事長杉浦京子さんが「祇園花街芸術資料館」の館長として、ともに芸妓さん、舞妓さん、花街の文化を支える重要な役割を担っている。資料館では、お家元のインタビューと舞のビデオが上映されており、示唆に富んだお話と、凛とした舞にこちらの背筋が伸びるようである。

 資料館は見どころ多数のため、ここでは展示の一部をご紹介するが、パネルを読んでゆくと年中行事が多彩で意味があるのとともに、自分も祇園の芸妓さん、舞妓さんと生活しているような感じがする。

一階
都をどり
 4月1日から1か月間「祇園甲部歌舞練場」で1日3回の公演。1872年京都博覧会の際に披露が始まり、今年令和6年(2024年)に150回目の公演。芸妓さん、舞妓さん、地方衆総出演の華やかで厳かな催し。「歌題」と呼ばれるテーマがある。今年は「源氏物語」。開幕同年、裏千家十一世が、海外からの賓客のため考案した「立礼式(りゅうれいしき)」で現在も芸妓さん、舞妓さんからお茶のもてなしを受けることができる。

目録 舞妓さんの「店出し」や「襟替え」の際に置屋さん、お茶屋さんの玄関に張り出されるお祝いの熨斗(のし)。ご贔屓さん、おねえさん(先輩)方からハレの日に贈られる。

舞の扇 舞妓さんデビューの際、井上流のお家元よりお祝いとして頂ける。これが「紅の三段」。芸妓さんになるとき「紫の五段」。その後10年から20年の精進を経て「名取さん(家元から技能を認められた弟子)」になるとき、扇を頂き井上を名乗ることができる。

おこぼ 舞妓さんデビューの日に置屋さんが準備。桐の木。歩くと独特の音。最初の鼻緒は赤。付け替えるたびにピンク色や水色に。高さが10㎝以上。

花簪(かんざし) 舞妓さんの髪型は数種類あり、毎月季節のかんざしを付けている。
 1月は「松に寒菊」、2月は「梅」など。ひとつひとつ職人の技が生きる。

かご 舞妓さんのバッグ。中身は、鏡や櫛、花名刺、千社札、扇が2本入る扇入れ。舞の手ぬぐい、など。

 舞妓さんはお休みのときにも着物を着て、日本髪を結っている。そのような際に「櫛(くし)」でおしゃれ。6月から10月にかけて普段着のときによく使っているのは、櫛の台に布を張り銀色の糸で装飾を施した「まきぐし」。10月から5月まではつまみ細工が施された「つまみぐし」。舞妓さんの年数によって色が変わっていく。

紅と白粉 芸妓さん、舞妓さんは、襟足、首、顔に白粉を塗り、目元、眉に紅色のお化粧をする。白粉は合わせ鏡で自分で塗ることを、舞妓さんはおねえさん、おかあさんに学び練習する。舞妓さんは「見習いさん」になる10日くらい前から、白塗りのお化粧の練習が始まる。電灯のない時代、ろうそくの灯のなかでより美しく姿が映るように、と考えられた手法が現代に受け継がれている。

お正月のかんざし 舞妓さんの花簪はその月の時候によって替わる。お正月から1カ月はおめでたい松竹梅のかんざしを付ける。年末に置屋さんやおねえさんが毎年新しいものを準備してくれる。舞妓さんも3年、4年の経験を重ねるとかんざしも落ち着いた色になる。
 着物も三が日、始業式がある7日、小正月の15日は黒紋付を着てべっこうの櫛に松竹梅のかんざしを前にさす。それ以外の松の内(元旦から15日まで)は色紋付を着る。行事や風習に沿って着物もかんざしも替える習わしは大切にされていて、微妙な色使いや、かんざしを差す場所でも意味が変わってゆく。

二階 着物・帯展示 季節ごとのテーマに沿った芸術品

 二階舞台においてオプションで、芸妓さん、舞妓さんの舞の見学、記念写真の撮影も用意されている。たいへん貴重な機会

一階に戻り進むと、ショップ、カフェに通じる。

 その後、隣接する「祇園甲部歌舞練場」の内部が見学できる。
 1913年完成。約700席以上。建仁寺塔頭清住院(けんにんじたっちゅうじょうじゅういん)を改装し現在地に移転。純和風建築の劇場。2001年、登録有形文化財に指定される。春の「都をどり」、秋の「温習会(おんしゅうかい)」(舞妓さんのおさらい会の意味も持つ)。2023年、耐震を含め改修工事が完了。資料館の一部として、特別公開されている。総ヒノキ造りの二階建て。天井や照明に日本的意匠。公演は一般にも公開されている。
 劇場見学の後は、「都をどり」の映像をゆっくり楽しめるスペースもある。

 再び企画総括、菊間氏のお話。現在若い方々にも伝統、文化を知ってもらいたいとの思いから修学旅行の生徒さんにも来ていただいている。皆、芸妓さん、舞妓さんに魅了される。キッズプログラムの一環として公開した際、あまり口数の多くなかった子供が、芸妓さん、舞妓さんの舞を見て、その美しさを目を輝かせて語るような劇的な変化も見られたという。今後もさまざまな企画と、さらなる若い方々へのアピール、また年々少なくなっていく祇園の伝統と文化を支える伝統工芸の職人さんをサポートする企画も考えていきたいと話された

 祇園花見小路は昨今の観光ブームでオーバーツーリズムの問題もある。芸妓さん、舞妓さんの仕事中、日常生活を追いかけて無理やり写真を撮るなどの行為が発生する中、訪問する側もしかるべきマナーを守ることは必至。
 和の雰囲気に浸り、静かに芸妓さん、舞妓さんの世界を堪能できる資料館は、最高の場所である

取材協力

祇園花街芸術資料館
〒605-0074 京都府京都市東山区祇園町南側570-2 八坂倶楽部
https://gion-museum.com/
*開館日については臨時休館があるので事前に要確認
*芸妓さん、舞妓さんの京舞鑑賞はオンラインで事前予約がおすすめ

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