Aizu Style

2011-10-01

Aizu Style

 
pdficon_large

 

会津若松は、磐梯山や猪苗代湖の雄大な自然に囲まれた会津藩の面影が残る風情豊かな城下町。
その原型を築いたのが織田信長と豊臣秀吉に仕えた戦国武将の一人で名将と言われた蒲生氏郷(がもううじさと)(1556-95)。氏郷が近江国(現滋賀県日野町)から商人や職人を呼んで興したと言われる漆器や酒造などの会津を代表する伝統産業は今も街の至る所に息づいている。
年に一度総勢約500名の武者姿で練り歩く「会津藩公行列」の日、往時の歴史に思いを馳せながら、江戸時代に造られた重厚な蔵や大正時代の洒落た洋館が残るノスタルジックな街並みを散策する。

優美なお城と優雅な茶室

 会津若松は、戊辰戦争(1868-69)のとき、西軍の砲撃にも耐えた難攻不落の名城として知られる鶴ケ城を中心とする城下町。昔も今も、鶴ケ城は会津の人々の誇りであり、心の支えとなっている。
 今年5月に瓦の葺き替えを完了し、城内の建物全てが江戸時代末期の姿に統一され、白く輝く漆喰の壁と赤い瓦がこれまでにないコントラストを形成し、現存する天守閣のなかでは、全国で唯一の赤瓦の天守閣が誕生した。
 現在の天守閣内には、当時の甲冑や刀剣などが展示してあり、歴代藩主や戊申戦争などの会津の歴史や文化を分かりやすく紹介している。3階では着物を羽織り記念写真も撮れるので、外国人旅行者にも人気を呼んでいる。
 城内には、日本を代表する茶人・千利休(せんのりきゅう)(1522-91)の子、千小庵(せんのしょうあん)(1546-1614)が蒲生氏郷の恩に報い建てたと伝わる「茶室 麟閣(りんかく)もあるので、来城の際にはこちらも訪れたい。
 鶴ケ城の東、徒歩15分の所に御殿様の別荘として造られた国指定名勝の会津松平氏庭園「御薬園(おやくえん)」がある。江戸時代から続く薬草作りは、今でも行われており、朝鮮人参など約400種類の薬草が植えられている。 園内の「御茶屋御殿」では、庭園を望みながら抹茶を頂くという至福のひとときも用意されている。

 

商人と職人の魂が今も息づく七日町通り

 七日町(なぬかまち)通りは、昔から会津の主要な街道の一つであったことと、江戸時代に自由取引を推進し、商人の組合のような組織を廃止した”楽市楽座”という経済政策を取り入れたことにより発展したエリアで、今でも歴史ある蔵やレトロな洋館のお店が軒を連ねる。
江戸時代から続く会津漆器や会津絵ろうそくのお店も健在で、絵付けも体験できる。会津の伝統工芸の歴史と文化に触れ、世界でたった一つのお土産を作りたい。
 明治、大正、昭和と海産物問屋として繁栄したのが七日町駅に近い「渋川問屋」。現在は大正時代の木造家屋や明治時代に建築された蔵で、会津郷土料理のこづゆ(干貝柱のだしで、里芋、人参、きくらげ等を煮、醤油で薄く味付けした汁物)やにしん、棒たら料理を提供している。とろけるような味わいの会津塩川牛は滅多に味わえない逸品。食をとおして会津の歴史を知るのもよいだろう。

 

教養の高い街には趣のあるカフェが溢れている

 細菌学者野口英世(1876-1927)が手のやけどの手術を受け医学の素晴らしさに感動し、後に医学を志し書生として住み込んでいたのが会陽医院(かいよういいん)。2階の部屋には、現在、英世ゆかりの諸資料が展示されていて、これから医学を志す若者も見学に訪れている。1階は皇太子徳仁親王殿下(こうたいしなるひとしんのうでんか)と皇太子徳仁親王妃雅子殿下(こうたいしなるひとしんのうひまさこでんか)もお立ち寄りになったアンティークなカフェの「會津壹番館」となっている。
 皇太子同妃両殿下がお飲みになられたコーヒーを頂きながら英世を思うのもよいだろう。その他にも、蔵座敷を利用したカフェやレンガ造りのレトロ調カフェなどが至る所にあるので、街歩きの合間にコーヒータイムを楽しみたい。

  


会津藩主松平家墓所で御殿様のパワーを感じる

 1987年に国の史跡に指定された「会津藩主松平家墓所」は、東山温泉の入り口、東の院内山にあり、地元では「院内御廟(いんないごびょう)」と呼ばれている。
 山の麓の入り口は、関所のような威圧感を醸し出している。お清めのための御手洗水もあり、これから神聖な場所に参るという気持ちにさせる。鬱蒼とした森林の山道を登るにつれ、何かの「気」を浴びているような感じがしてくる。
 歩きはじめてから15分、そろそろ息が上がり始めたころに、細長い平地が現れ、その先には巨大な「碑石(いしぶみいし)」が立ち並んでいる。碑石は大きな「亀石(かめいし)」の上に建てられていて石には藩主の姓名・業績・経歴などの碑文が刻まれている。
 この大きな亀は、死者の霊をお護りする中国の故事による創造の動物「玄武(げんぶ)」で、北方を守る神なのでどれも頭は北を向いている。その方角に目を向けると、猪苗代の土津神社(はにつじんじゃ)に葬られている会津松平家初代藩主保科正之(ほしなまさゆき)(1611-72)の御墓がある。
 玄武は、鋭い目つき、鋭い牙、尖った耳に鋭い爪で、横から見ると今にも襲いかかってきそうだが、上から見ると御墓に眠る御殿様にひれ伏し崇めているかのようでもある。
 墓所の配置は、碑石を見下ろす高さの所に石灯篭を対に並べ、その一段上に藩主の官位や身分などが刻まれている「表石(おもていし)」を目印として建て、その奥に円墳があり霊を鎮めるための八角形の「鎮石(しずめいし)」となっている。
 二代目は仏式で、三代目から九代目までは神式で葬られており、他に家族や子孫の御墓もある。
 訪れた者からは、心が静まる、力強いパワーをもらったなどの声を耳にした。ここは、今、世間で話題になっているパワースポットの一つかもしれない。

 

061413_0717_AizuStyle11.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<観光のお問合せ先>
会津若松観光物産協会 インフォメーションサポートセンター
電話:0242-36-5043
http://www.aizukanko.com/

 

ページの先頭へ▲

 

Copyright © 2017 IHCSA. All Rights Reserved.