青い目のおもてなし  長野県 戸倉上山田温泉 亀清旅館

日本のOmotenashi シリーズ第9回

 長野県中部の温泉地で、米国出身の男性が若旦那として日本旅館の跡を継ぎ、宿泊客のお世話をしながら、温泉街を盛り上げようと日々奮闘しています。夫婦が中心となって家族で営む12室の旅館でのおもてなしや地域の魅力を向上させるために取り組んでいることなどについて紹介します。

 

日本旅館の若旦那になって

 タイラー・リンチさんは米国西海岸シアトルで貿易会社に勤務し、日本人の奥様と家族で暮らしていたところ、100年の歴史がある建物を中心に配された奥様の実家の旅館が廃業の危機に見舞われた。この日本旅館のたたずまいは彼にとって大変あこがれの場所であった。跡継ぎがいなくて取り壊されると知り、これほど古い木造の貴重なものは壊してしまうと二度と作れないので、絶対に守るべきだと心が揺さぶられた。
 2005年、何をすべきか全く分からない状態で旅館の仕事に飛び込んだ。家族で全てをこなさなければならない中、まず布団の上げ下げから始まった。この作業は当時からずっとタイラーさんが日々作務衣姿で担当しているものの1つである。もともと屋内の浴場だけだったが、お客にもっと寛いでもらいたいとの強い思いから、自ら工具を操って露天風呂を3カ所に新設したり、1階の客室それぞれに特徴を持たせた坪庭を作ったりするなど、自分で作業ができるリフォームは全て自らDIYで手掛けてきた。

 タイラーさんが10年あまりにわたり丹精込めてきた旅館は、どことなく懐かしさを感じさせる雰囲気で訪れる人を包みこむ。渡り廊下の先に離れがある昔ながらの入り組んだ造りの旅館には、鯉が泳ぐ池を囲むように緑豊かな中庭があって、冬は綿のような雪に覆われる。館内のあちらこちらには昔から使われてきた郷土の調度品が配され、日常から離れた安らぎのひとときを与えてくれる。夫婦がお客の前に出て対応する顔のあるおもてなしのアットホームな旅館、と好評である。特に外国人客にとってはいかにも日本的であることで、印象深い文化経験の場となっている。
 亀清旅館の温泉は、豊富な湯量の源泉かけ流し。温泉街各所に源泉が14カ所あり、一年中温度が一定になるようにブレンドされており、加水されていない。泉質はアルカリ性単純硫黄温泉(pH 8.6)で、ヌルヌル感がない、肌に非常に優しいさらっとした湯で、「美肌の湯」として多くの愛好家に喜ばれている。
 タイラーさんは「長野らしい宿」を提供できることを目指している。地元で昔から使われてきたやわらかいぬくもりを放つ薪ストーブを設置するなど、地元らしい場面や時間をお客に提供したいのである。「日本人でも外国人でも、長野に関心があって、長野の旅館に泊まりたい方の期待に応えたいし、より多くの方に長野らしさを体感できる場を提供していきたい。」と模索が続けられている。

亀清旅館流のおもてなし

 お茶菓子には既製品を用いずに、シアトル風オリジナルクッキーを手作りして提供している。「欧米人には手作りでものを作るDNAがある」などとタイラーさんは言っている。「地元らしさと手作り感と、青い目のおもてなしの組み合わせこそが亀清旅館の特徴だと思っている。」
 「おもてなし」は簡潔に表すと「お客さんが望んでいることを提供すること」で、常に2つのことを念頭に置いているそうである。まずは、お客が何を望んでいるのかを把握するために、例えばお部屋に案内したときにお茶をいれながら雑談したりするが、その中でヒントとなることを引き出している。亀清旅館には散歩用の地図をあえてフロントに並べていない。お客が出かける雰囲気を見て「散歩に行かれますか? 履物はカランコロンするもので行きますか?」などと声を掛け、地図はただ渡すだけでなく、「今旅館はここで、ここにはこういう店がある、足湯はここ」などから話を始め、反応から意向を察知して、客ごとに最適なご案内をしている。さらに滞在プランを組み立ててあげたり、希望する場所へお連れしたりなど、少しくらい面倒なことであっても、可能な限りやってあげることを心掛けている。
 日本人と異なって外国人は何が周りにあるのかよく分からないまま来訪することが多いので、外国人旅行者の立場に立って、関連する資料を見せながら地元のストーリーを説明したり、好みに応じた食事処を案内したり、何を見たいのかによって日程を一緒に考えてあげたりている。県内の主要な観光地への交通機関などの情報をまとめた英語版のシートも独自に作成し、これは惜し気もなく地域の他の宿泊施設にも配って、温泉街を訪れる外国人に利用してもらうようにしている。

戸倉上山田温泉の温泉街

 ここの温泉街は、約120年前に開湯されて以来、近隣の長野市へ善光寺参りに全国から集まる参拝者の精進落としの温泉地としてにぎわい、温泉文化が花開いた。自慢の湯はもとより、日本最長の河川・千曲川(信濃川)と周辺の山々と農作の景色は、昔から変わっていない。ここには30軒ほどの宿泊施設があり、浴衣を着て、下駄を鳴らして、入り組んだ路地を縫って散策するのに適当な広さで、坂もないので楽に巡れる。

戸倉上山田温泉遠景

おしぼりうどん

おやき

 個人経営の飲食店や飲み屋や専門店が軒を連ね、長野名物を味わえるし、足湯や射的場もある。“旅行者は現地の人たちの生活と触れ合いたいし、地域特性がないチェーン店には興味が湧かない”と地元の方々の意思統一のもとで街が営まれている、古き良き昭和時代の懐かしさが感じられる温泉地である。
 地元名産のあんずを使ったスイーツなどと並んで、「おしぼりうどん」が地元の方々の一押しのお勧め料理である。このソウルフードは地元産の極めて辛口の大根をおろした汁にうどんを付けて食するものだが、類のない刺激は旅行者に強烈な印象を与えることが間違いない。信州の郷土食「おやき」を注文後に焼いて出す店は、出来たての熱々の状態で味わえると人気になっている。焼き鳥屋の女将は外国語が全くできないのだが、外国人にも楽しんでもらえるよう精いっぱいの身振り手振りで賑やかに盛り上げる。なかなか機会がない「芸妓遊び」は、体験してもらいやすくするためにタイラーさんが芸者組合に掛け合って、時間を短縮して安価に提供されている。

あるがままの地元の魅力を多くの人に

 地元最大のイベントである夏祭りに向け、神楽獅子舞の練習にタイラーさんも笛を持って加わっている。練習日に外国人が泊まっているときには、興味のある方を誘って一緒に連れ立っていく。目の前で和楽器1つ1つの音色を味わい、獅子などが舞う様子を心ゆくまで楽しんでもらい、神楽メンバーである一般の地元住民と交流できることからも大変喜ばれている。

おかめの面をかぶっているのが タイラーさん

 英語版のまち歩きガイドをタイラーさんが作成して、温泉街をより興味を持って楽しんでもらえるようにしている。自ら構成や文章を考え、掲載の店舗1軒1軒を訪ねて協力金を募り、県へ補助金を申請するなど、主導的役割を果たして完成された(www.onsentown.net)。 ATMや無料Wi-Fiなど外国人の利用頻度が高いものを記号化して記載し、各店舗を代表するメニュー内容・金額、外国人対応ができるりんご・ぶどう狩りなどの体験メニュー、病院、薬局なども網羅し、主要スポットはインターネットと連動させて音声による紹介も組み入れるなど、外国人の利便性を考慮した工夫を盛り込んだものである。

 温泉街や周辺エリアには観光ガイドがいないことから、タイラーさんはガイド事業「ずくだしeco tours」(http://www.zukudashi.com/)を自ら立ち上げた。<街歩きツアー>プログラムは、専門店での味見や体験を交えながら文化・歴史・生活の裏面まで徹底的に紹介する内容となっている。<サイクリングツアー>では田舎の里山を地元のストーリーを紹介しながら巡り、時期が合えば農家の収穫作業などの体験の場を設けている。温泉だけでないこの地域が有するすばらしさを深掘りして堪能してもらい、“ここに来て良かった”という思いを持ち帰ってもらうことに今日も汗を流している。

 タイラーさんは、地元の行事運営や観光施策の実行委員会などにも参加し、自施設のためだけでなく地域が元気になるよう飛び回って活躍の場を積極的に広げてきた。長野県観光Webサイトではブロガーとしての英語での情報発信を重ねたり、民間レベルで長野県の観光を推進するNPO団体「Ninjaプロジェクト」を代表者として立ち上げたりして、県知事からの表彰も受けた。
 「ここははっきり言って日本を代表する温泉地だと思っている。その質も、知名度ももっと上げたい。そのためには地元の皆さんにも地元の良さを再発見してもらって、自分たちの仕事に誇りを持ってもらいたい。来るお客さんに感動をいっぱい与えたいので、地域の皆で力を出し合っていけるようにしていきたい。」と次のアクションを心に描きながら、地元をほんとうに愛しているタイラーさんは日々フル回転で取り組み続けている。

取材協力・写真提供

戸倉上山田温泉 亀清旅館
http://www.kamesei.jp/

千曲市経済部観光交流課
http://chikuma-kanko.com/

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