昨年、彼らと同じワーキングツーリズムを利用して町に来た人は約80人いたという。「町に来た理由で一番多いのは、純粋に島の暮らしを体験してみたいということがあるようです。学生は、まちづくりに興味がある人が多い気がします」と太田さんは言う。
記者の、正直あの岩牡蠣の養殖現場は臭いがきつく磨き上げの作業も大変なので、途中で挫折して帰ってしまう人がいるのではないかという問いに。
「仕事場では、ほとんどの人が最初の数日間かなり重い気持ちになりますが、今まで挫折した人はいません」と太田さん。
記者は、挫折をしない最大の要因は、この「シェアハウス」における仲間たちとの団らんと、ここでリ-ダー的な役割を果たす頼れる太田さんの存在も大きいと感じた。
「労働は場所に関係なくストレスや疲労があるもので、それは島でも例外ではありません。が、この仕組みの強みは、労働が暮らしにとても濃く繋がっていることです。労働以外の暮らしの部分が充実しているから、あるいは、島では労働を通して得るものが多いから、だと思います」、「ここでの生活を体験した人は、変化というか、繋がりを作って帰って行きます。私が東京や大阪に行った際には、来島した仲間たちと再会してワイワイガヤガヤやってますよ!」と楽しそうに話す太田さんの目には、海士町を愛する心と人間愛が溢れていた。
ローカルの時代の予感
プロの写真家でもある太田さんは、仕事の合間を縫って島民の営みや職場の風景を撮り続けている。最後に太田さんに今後の抱負を聞いてみた。「海士町に来て、人と人との繋がりがとても重要であることを再認識しました。日本には大小様々な離島がたくさんあるので、その離島同士が連携しながら都会の人ともアクセスできるような事業の青写真を描いているところです」