2025年12月24日 / 最終更新日時 : 2025年12月26日 ihcsacafe_user 全ての記事 奄美大島の自然と恵み Part One ~田中一村の見た「奄美の光と影」~ 奄美大島の自然と恵み Part One ~ 田中一村の見た「奄美の光と影」~ 印刷用PDF 「奄美の海に蘇鐡とアダン」 田中一村画 田中一村記念美術館蔵 Ⓒ2025 Hiroshi Niiyama 田中一村(いっそん)の絵に導かれ、奄美大島を訪れた。エキゾチックな動植物、大胆な構図、独特な色彩と、何よりも見ていて不思議な、まるで森の中から外をみるような視点による「光と影」。一村が奄美で見たものをこの目で見たくなった。 田中一村記念美術館 奄美空港に降り立ったその足で、空港から車で5分の鹿児島県奄美パーク・田中一村記念美術館を訪問し、学芸専門員の上原直哉さんにご案内いただいた。 1984年、NHK日曜美術館で「美と風土 黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して生涯と作品が紹介され、大きな反響があった。一村の死から7年後だった。その後1980~90年代にNHK主催による一村の展覧会が、全国のデパートなどで開催された。全国に広まったファンが聖地巡礼として奄美を訪れたが、一村の絵を展示する常設施設が無かった。一村への関心が高まる中、2001年、奄美パーク内に田中一村記念美術館が開館した。 私が訪問した2025年11月には館内に4つある展示室で「秋の常設展」が行われていた。 第1展示室では「田中米邨(べいそん)」と名乗った若いころの絵が展示されており、神童と呼ばれた早熟な才能を見ることができる。 第2~第3展示室には、千葉時代の支援者であった医師・岡田藤助(とうすけ)氏が所蔵していた絵が集められており、奄美時代以前の作品を見ることができる。私個人としては鳥を描いた作品がとても気に入った。 そしていよいよ特別展示室に入ると、一部を除き奄美時代の作品が並べられていた。何か空気感が変わったような気がする。そこには今回の取材中、島のあちらこちらで見ることになる奄美の草、木、鳥、蝶、魚や、独特の風景が並んでいる。 奄美大島伝統建築「高倉」(動物などの侵入を防ぐ高床式の倉庫)を模したデザインの田中一村記念美術館は、高倉部分の下に池があり野鳥が小さな水生生物をついばんでいる。静かな館内の壁は白サンゴの石灰岩で温かみがあり、館内を見て歩く時渡り廊下などで目にする窓外の景色は一村の絵そのものようだ。 学芸専門員の上原さんに気になっていたことを聞いてみた。 「どうして一村の絵は森の中から外を見ているような視点が多いのでしょうか?」 「一村は奄美の何気ない、当たり前の風景や動植物を描き、それを芸術の域まで高めた芸術家だと思っています。ごく普通の対象物に光と影のコントラストを利用した逆光の効果を持たせたのではないでしょうか」 一村は鳥が好きだったという。暖かい気候を好む赤翡翠(アカショウビン)は、既にフィリピン方面に渡ってしまったため、今回私が本物を見ることはなかったが、一村の絵では主役である。あの赤い大きなくちばしが特徴的な鳥の姿をいつか見てみたい。 「初夏の海に赤翡翠」 田中一村画 田中一村記念美術館蔵 Ⓒ2025 Hiroshi Niiyama 一村の見た奄美 絵を参考に、一村の見た景色を見て歩きたいと思っていた。上原さんにお聞きしたところ、それぞれの絵をいつどこで描いたかは分からないという。むしろ島のあちらこちらを歩いてスケッチした風景や動植物をアトリエで構成し直し、組み合わせて描いたのではないかとのことだった。 そこで、私も絵を構成する1つ1つの素材を拾い歩いてみることにした。 絵を見た後は、美術館の周囲に配された「一村の杜(もり)」と呼ばれる自然庭園を散策した。 「一村の杜」には絵に登場する多くの草木が、遊歩道の左右に植えられている。 絵の中で黄色い太陽のように輝くアダンは、この時期には緑色のサッカーボールのような姿だった。 「枇榔樹の森に浅葱斑蝶」 田中一村画 田中一村記念美術館蔵 Ⓒ2025 Hiroshi Niiyama 一村の絵の中で影に存在感を感じる蘇鐡(ソテツ)や枇榔(ビロウ)樹は、しばらく撮影している内にカラーではなくモノクロームの方が似合っているような気がしてきた。 一村が見た奄美を探しに、翌日も島内を歩き回った。 道端で足を止め思わずカメラを構えたのは、「妖艶」という花言葉があり一村の絵にもよく描かれているクロトンだった。奄美では普通に国道沿いに生えているクロトンは、緑をベースに黄や赤が葉を彩るエキゾチックな植物で、一村の絵の中でも艶っぽい光を放っている。 蝶でよく一村の絵に登場するのが、白い羽の先端がオレンジに染まるツマベニチョウと、青白い羽の浅葱斑蝶(アサギマダラ)だ。これらは一年中成虫がいる種類で、今回は雨の11月にもかかわらず、2種類とも奄美の森で出会うことができた。 特にアサギマダラはフナンギョの滝に向かう山道で、どこからともなくヒラヒラと現れた。傘なしではいられないような雨が降る中、しばし美しい羽と優雅に飛翔する姿を楽しませてくれた。 フナンギョの滝と近くの山道で見つけたアサギマダラ 晩年の作品「不喰芋(クワズイモ)と蘇鐡」で主役を演ずるのは、島の人曰く「イノシシも食わない」クワズイモである。サトイモ科の植物で、毒性があって文字通り食えない。トトロが持っていたハッパの傘のように大きい葉が特徴だ。 特にフナンギョの滝に行く途中の山道では、巨大な葉が雨に打たれるのを数多く見た。 「不喰芋と蘇鐵」 田中一村画 個人蔵・田中一村記念美術館寄託 Ⓒ2025 Hiroshi Niiyama このクワズイモの絵を見るたびに不思議な気持ちになる。もちろん、色彩が素晴らしいのだが、それ以上に構図がデザイン的で、私には日本画というよりモダンアートに見える。なんとも新しく刺激的だ。 もう1つこの絵の中心にはこれも奄美独特の風景「立神(たちがみ)」が遥か彼方に小さく描かれている。奄美大島には神が降り立つといわれる小島がたくさんあり、一村の絵の中にも、例えばこの記事の巻頭にあるアダンの絵にも描き込まれている。 私が巡り合った「立神」たち 田中一村という人 一村は彫刻家の父を持ち、幼いころから絵においては「神童」と呼ばれていた。18才で東京美術学校日本画科(現東京芸術大学)に入学したが2カ月で退学。家族の病気のためとも、既にいっぱしの南画家だった一村が大学教育に違和感を覚えたためともいわれている。南画家としては名も通り支援する人もいたが、日本画に転向後は青龍展での1回きりの入選以外、中央画壇で評価されることはなかった。独学の道を歩み、奄美移住後、亜熱帯の自然を描いて日本画の新境地を拓いたが、69歳で急逝。作品は親族や支援者、友人など縁ある人の下で大切に保管された。 芸術家としていかがな心境だったのか。 その問いに対する答えを、美術館の展示の中に見つけたような気がする。 絵とともに掲げられた「一村の言葉」というパネルに、次のような友人への手紙の一文があった。 「私の絵の最終決定版の絵がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、絵の正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は満足なのです。それは見せるために描いたのではなく私の良心を納得させる為にやったのですから・・・」 ********************** ≪取材協力≫鹿児島県奄美パーク・田中一村記念美術館住所:〒894-0504, 鹿児島県奄美市笠利町節田1834電話:0997-55-2635ホームページ:https://amamipark.com/isson/ご担当者:学芸専門員 上原直哉様(写真はアダンとともに) アマニコガイドサービス運営会社:結人(ゆいんちゅ)株式会社住所:〒894-0043 鹿児島県奄美市名瀬朝仁455-10電話:0997-58-7879ホームページ:https://www.amami-occ.com/ご担当者:佐藤伸一郎様*アマニコガイドサービスの代表白畑瞬氏の父親の世代(70代)は、実際に一村に会っているという。子供のころ近所に住んでいる面白いおじさんの家に上がって遊んだ記憶があり、それは一村の飾らない気さくな一面が分かるエピソードだ。