禅とはシンプルになること

今回は臨済宗大本山妙心寺退蔵院の副住職であり、YOKOSO! JAPAN大使でもある松山大耕だいこうさんに、禅とは、またその現代的な意味とは、というテーマでお話をお聞きしました。

禅宗の住職になるということは、小さいときから決めていたのでしょうか?

 はっきり決めたのは大学生になってからです。住職である父の「井の中の蛙はいけない」という意向で東京の大学に進学し、1~2年はお寺に住み込んで手伝いをしながら学校に通いました。憧れのキャンパスライフもなく(笑)。そのころ寺を継ぐことは決めましたがその前にもう少しやりたいことをしたい(笑)、と大学院まで行かせてもらいました。大学では農学部で日本酒の研究をし、大学院では「農業の多面的機能」つまり産業としての農業だけではなく、自然環境の保全、災害防止、良好な景観の形成など、農業のもつ多面的な役割を学びました。そして大学院を卒業後、埼玉県新座市の平林寺で修行に入りました。

禅宗の修行というのはどんなことをするんですか。

 朝の3時に起床して、1時間読経、粗末な朝食(米が10~20粒入ったお粥と梅干)の後、1時間半の坐禅、そして昼まで薪割り・草刈り等の作務(さむ)(労働)、短い昼食の後5時まで作務、6時から坐禅で、本来9時までですが居残り坐禅というのがあって(笑)新入りの頃は床に就くのが12時ごろです。始めの半年は外出禁止、その後も月に1~2回半日の外出が許されるだけで、新聞・本は一切読むことを許されません。

 

大学院まで行って勉強したのに、読書も不可ですか。

 そうです。それまで築き上げてきたものすべてを捨て去ることが禅の修行なんです。

それで何が分かるのでしょう。

 禅の修行は人間の核になるものを見出すことだと思うんです。何もかも削っていくと、人間は非常にシンプルになる。修行中に檀家の方たちが、時々差し入れをくれました。そのころ僕は24歳でしたが、24歳の男が差し入れのコーラ1本に涙を流すんです。どんな人でも幸せの核は非常にシンプルなものです。それが僕が修行から学んだ最大の知恵です。そんな単純なことが腹の底からわかるまで3年半もかかってしまいました。修行後は新座市から京都まで、托鉢(たくはつ)をしながら歩いて帰りました。28日間かかりました。

外国人のために禅の体験教室を開いていますが、反応はいかがですか。

 反応はさまざまです。哲学的な意味で禅に興味のある方は禅問答に興味を持たれたりしますし、ベジタリアンなど食について関心がある方は精進料理に、またアジアの方は自国との歴史的なつながりについて興味を持たれます。外国人に日本の文化や禅を知っていただきたいと思いますが、外国人が興味を持つことによって、逆に日本の若者の間にも興味を持つ人が増えることを願っています。国際会議が京都で開かれるとき、参加者のために体験教室を依頼されます。そのときは日本人の学生に手伝ってもらうようにしています。そうすることによって、学生たちが自分はこんなことも知らないんだ、と反省してくれたりするんです。

外国人と日本人の若者の両方が、日本文化に対する理解を深められるわけですね。さて今後はどのような計画をお持ちですか。

 迎合だと誤解されたくないのですが、京都の寺ももっと敷居を低くするべきだと思っています。固定観念を一度崩した方がいい。今外国人から頼まれているのは、「仏前の結婚式をしたい」とか「お寺でプロポーズしたい」という風変わりなリクエスですが、ぜひ望みをかなえてあげたいと思っています(笑)。また海外では京野菜を栽培する農場と禅堂が併設された施設を立ち上げる計画があります。そこで坐禅や日本食を体験した人が、「聖地訪問」みたいにどんどん日本に来てくれるといいですね。

最後にシンプルな質問を2つ。まず幸せとは?

 幸せの度合いは「得たもの」を分子「欲しいもの」を分母とした分数のようなもの。分母を小さくすることを考えるのが、仏教的なものの考え方です。

 

現代における禅とは?

 複雑な現代社会に生きるからこそ、姿勢と呼吸を整えて坐りシンプルになることが必要だと思います。

 

(プロフィール)

1978年京都市生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科修了。2009年YOKOSO! JAPAN大使就任。臨済宗大本山妙心寺 退蔵院 副住職

退蔵院URL: http://www.taizoin.com/

YOKOSO! JAPAN 大使
URL:http://www.mlit.go.jp/common/000059817.pdf

 

写真:君和田富美夫、取材先提供

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