スキーの魅力

スキー100周年記念インタビュー

無心に風を切って滑る歓び

皆川賢太郎さんが語るスキーの魅力

2011年はオーストリア・ハンガリー帝国のテオドール・フォン・レルヒ少佐が、新潟県上越市高田の金谷山(かなやさん)にて、日本陸軍に初めてスキーを指導してから100年目に当たります。それを記念して今回は、アルペンスキーの皆川賢太郎さんにスキーの魅力について語っていただきました。

皆川さんは苗場のご出身ですが、子供のころのスキーの思い出を聞かせていただけますか。

 僕は3歳からスキーを始めましたが、子供のころはちょうどバブルの時期で、苗場はスキー客でごった返していました。多くの人が滑るので、コースの端は大きなコブがたくさんでき、僕は友達とそのコブを滑るのが楽しみでした。今で言うモーグルみたいなものです。よくスキーパトロールに「ちびっこレーサー」と呼ばれて追いかけられ、捕まるとリフト券を取り上げられるんです(笑)。捕まりたくないからパトロールよりも早くコブを滑り降りる。そのころから誰よりも早く山の上から下まで真っすぐに滑るのが好きでした。そして気が付いたら12歳から世界大会に出場していました。

競技者としてではなく1スキーヤーとして、スキーの魅力は何でしょう。

 スキー場の空気はおいしいといつも感じます。山の上に立つと本当に空気が澄んでいます。それに朝一番の誰もいないゲレンデで、何も考えずに風を感じてただ滑る。車でも、自転車でも風を感じることはできますが、あの山を滑り降りるときの感覚は他にはないと思います。

世界中のスキー場で滑ってこられましたが、日本のスキー場の他にない良さは。

 皆パウダースノーが良いと言いますが、僕は必ずしもそうは思いません。パウダースノーだと、サーフィンのように浮き上がっている感じだし、ヨーロッパのスキー場のように硬いのも一般のスキーヤーには難しいですね。日本のスキー場の雪は北海道の一部を除いて、多少の湿気を含んでいます。実は日本の雪質ぐらいの方がスキーの性能が使える、エッジがかけやすく道具が仕事をしてくれる感覚があり僕は良いと思っています。
 もちろん温泉があるのも、日本のスキー場の魅力の1つですね。外国にも温泉のあるスキー場はありますが、ホテルに温泉が付いているのは日本だけです。スイスなどではスパで、日本の温泉地の風情はありません。
 いろいろなタイプのスキー場があるのも楽しいですね。苗場は都会のスキー場という感じで綺麗に整っていて誰でも滑りやすい、白馬は山が大きいのでコースが圧倒的に長い、志賀高原はすり鉢状になっていて、東西南北いろいろなコースが楽しめる。

世界のトップレベルで競い合うことによって、得たものは何ですか。

 トリノオリンピックでは100分の3秒差でメダルを逃しました。そんな厳しい世界なのに、僕は毎回オリンピックの後にけがをして4年間で治して次に出ることを繰り返しています。一流選手はけがをしないと言いますが、その意味で僕は一流ではありません(笑)。でもけがのために、成績の壁というより人生の重大な壁を経験したのだと思います。気持ちだけではどうにもならない多くのハードルを越えてきたので、物事の優先順位を学びました。順調だと他に目が行ってあれも欲しいこれも欲しいとなりますが、スキーどころか歩くこともできない経験をして、今は欲しいと思うものが減りました。スキーができること、自分を支えてくれる人がいることなど以外、実は本当に必要なものはあんまりないということに気が付いたんです。隣の芝生が青くは見えない(笑)。

次のソチオリンピックでの活躍が期待されますね。

 バンクーバーは出ることに必死だったし、何かと考えてしまって、最大限の集中力では臨めませんでした。トップレベルの競技で両膝の損傷は重い現実です。「けがからの復活」と言っても、現実はそんなに簡単ではありません。でも今は嫌なことから目をそらさず本質を見ることができています。厳しいが打開策はあると信じてトレーニングをしています。
 一流ではないが(笑)世界の3本の指に入る可能性はあると思っています。

現役でのご活躍を期待していますが、さらに将来の抱負など聞かせていただけますか。

 僕は選手としてのキャリアをファーストステージと考えています。現在33歳ですが、これから60歳までにしたいことは決めていて、愛子(奥様、モーグルの上村愛子選手)と話し合っています。自分たちの世代も前の世代が作ってくれた環境で育ってきました。僕も次の世代のために、環境整備ができればと考えています。例えば、日本は世界初で最大の都市型スキードームを船橋市に作ったのに、世界中にスキードームができた今はもうありません。1年中スキーができるドームの復活も僕の夢の1つです。オリンピック選手を輩出できる環境を創っていく仕事をしたいですね。目標が大きいかもしれませんが、やりたいことはまず「やりたい」と思わないとできませんからね。

2011年は日本にスキーが紹介されてから100年目に当たる記念の年です。何か計画されている企画などがありましたら教えてください。

 実は僕は高校1年のとき新潟県の高田でスキーをしていました。レルヒ少佐が初めてスキーを日本人に教えた「スキー発祥の地」です。そんな縁もあり、スキー100年のイベントはいろいろ参加する予定になっています。また今苗場に自分がトレーニングをするためのコースを作っています。そこでこの冬は「ちびっこレーサー」たちと一緒に滑ります。教えるというよりは「俺について来い!」って言って一緒に風を切って滑りたいですね。

【皆川賢太郎選手プロフィール・戦歴】
1977年 新潟県湯沢町生まれ。

身長173cm、体重82キロ、日本体育大学出身、竹村総合設備スキークラブ所属

1998年長野オリンピック男子回転出場。’00年まだプロの間で普及していなかったショートカービングスキー(168cm)で活躍「スキーの革命児」と呼ばれる。’01年男子回転ワールドカップ総合18位・世界選手権10位の成績で第1シード(世界のトップ15)に入る。

’02年ソルトレイクシティオリンピック男子回転出場。同年野沢温泉での大会で左膝前十字靱帯断裂。’06トリノオリンピック男子回転4位入賞し第1シードに復帰。同年練習中右膝前十字靱帯損傷。’10バンクーバーオリンピック男子回転出場

 

皆川賢太郎ブログ:http://ameblo.jp/kentaro1up

株式会社 スポーツ ビズ:http://www.sports-biz.co.jp/

 

写真:君和田富美夫、株式会社 スポーツ ビズ提供

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