日本の未来を担うスマート農業 ~試験農場「エフシードラボ(f-seed. Lab)」の挑戦~

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 福島県中部に位置する「須賀川(すかがわ)市」は、東西に長く西に那須連峰、東に阿武隈高地を望む自然豊かな地域である。江戸時代には奥州街道(江戸時代の五街道の1つ)の宿場町として賑わい、昔から商業の街として栄えてきた。須賀川市には、おいしいリンゴやナシ、トマトなどの果物や野菜が豊富に揃う。しかしながら、農業従事者の高齢化、後継者不足など農業を取り巻く環境は年々厳しさを増している。須賀川市の夏秋きゅうりは近年まで生産量日本一を誇っていたが、その座を伊達市(福島県)に奪われている。
 ITやロボットを活用することで生産性を向上させてこの状況を打破し、就農人口を増やしていこうという動きが出始めている。この取材ではITベンチャーとの協業できゅうり栽培の省力化、魅力的な農業を目指す株式会社福島タネセンターの取り組みを紹介する​。

エフシードラボのビニールハウス内におけるきゅうり栽培

ITとロボットの活用で農業を魅力的な仕事に

 10月初旬、夏秋きゅうりの収穫が終わる頃、福島タネセンターがIT企業の「株式会社benefic」とロボット製作の「エムケー技研株式会社」との協業で、今年の3月に立ち上げた試験農場「エフシードラボ(f-seed. Lab)」を訪れた。ここではブランド農産品である「岩瀬きゅうり」栽培の省力化・品質向上に向けた実証実験を行っている。
 須賀川市吉美根(よしみね)の農地に建つビニールハウスの中に入ると、髭を蓄えたダンディな男性がパソコンのモニターに映る折れ線グラフを眺めていた。
 「この画面には、ビニールハウス内の温度、湿度、二酸化炭素量などが映し出されていて、今モニタリングをしています」と話してしてくれたのが、福島タネセンター代表の橋本克美(はしもとかつよし)さん

モニターに写るデータを真剣な眼差しで見つめる橋本克美さん

いつの間にか農業のエキスパートに

 橋本さんは、この仕事に就く前は大手食品加工会社で営業の仕事をしていたが、福島タネセンター創業者の父親が引退するのを機に家業を継ぐことを決断。福島タネセンターはタネだけを扱っているだけではなく農業資材、ビニールハウスの販売を行なうとともに、農家からの相談に対する助言や指導を行う農業のコンサルティング会社である。
 最初は分からないことだらけであったが、農業に関する様々なことは取引先のお客さんから学んだという。会社を継いで約20年、気づけば農業のエキスパートとして日々忙しく活動している

農業のイメージを変えたい

 「この10年間で須賀川市の農産物の生産量は年々減っています。その理由は、農業を継ぐ者が少なく、農家が減り農業関連の商売も縮小しているからです。その結果、農業で成り立っている地域経済が疲弊し、負のスパイラルに陥っています。日本全国ほぼ同じ状況ではないか」と、橋本さんは言う。
 農業の後継者が育たない理由は「きつい」「汚れる」「儲からない」「不安定」等が挙げられるが、橋本さんはこれを次のように変えれば担い手が増えると考えている。「クリエイティブな仕事」「心身共にきつくない」「安定していて、無くならない職業」「やり方次第では十分な利益がある」「自然(植物)相手なので精神衛生上良い」「感謝されたり、うれしい言葉を直接もらえる」そして、「これからの時代、農業の役割は益々重要になる」と

キュウリが順調に育っているかをチェック

ブランド農産品「岩瀬きゅうり」の活用

 須賀川市岩瀬地方は夏秋きゅうりの一大生産地として有名で、1971年から2013年まで生産量日本一を誇っていた。生産量が落ちた原因はいろいろあるが、一番は農家数、農業従事者の減少である。そこに東日本大震災東京電力原発事故による風評被害が大きく影響している。
 橋本さんは、生産量日本一への返り咲きと地域の農業、経済を活性化させるためにブランド農産品として既に全国に知れ渡っている「岩瀬きゅうり」で勝負をすることを考えた。岩瀬きゅうりは緑が深く、やわらかく、みずみずしい味わいで人気が高い。地域にある宝を活用するということだ

ブランドの岩瀬きゅうり
出荷を待つ採れたての新鮮なきゅうり

だれでも参入できる農業を目指す

 エフシードラボは2020年5月、ビニールハウス内にきゅうり2千株を植えた。栽培方法は2種類あるが、ここでは「摘心栽培*1」ではなく、「つる下ろし栽培*2」を行っている。
 摘心栽培は、つるや葉の調整、湿度を勘案するなど農夫の五感、熟練が必要となるが、つる下ろし栽培は、そのような匠の技はほとんど必要としない。側枝のカットや一部の葉を摘み取る判断は基準に従って行えば良いので初心者でも戸惑うことなく働ける。
 また、栽培上の不確定要素をできるだけ排除する為、畑の土を使わない、「隔離ベッド式養液栽培*3」を採用している。
 薬剤の散布において、摘心栽培では葉が込み合い薬剤の散布に薬量と時間が多くかかるが、つる下ろし栽培は葉が均等に配置されているので薬量と時間も少なく済む。ここでは、無人防除機オートランナーが薬剤を散布してくれるので、農薬被曝の心配はない。

*1 摘心栽培:きゅうりの主枝を10節位(約60㎝)でカットし、主枝から発生する子づる、子づるから発生する孫づるというように多数の側枝(そくし)を発生させる。発生した側枝から果実の収穫を行う方法。
*2 つる下ろし栽培:きゅうりの主枝を10節位(約60㎝)でカットし、主枝から発生する子づるを4本程度伸ばす。その枝から果実の収穫を行う方法。
*3 隔離ベッド式養液栽培:地面から離して土を使わずに、肥料を水に溶かした液(培養液) によって作物を栽培する方法。土壌病害や連作障害を回避できる

隔離ベッド式養液栽培
無人防除機オートランナー

スマート農業で若者の就農を促す

 昨今のテクノロジーの進歩により、人々の生活や仕事は日々目まぐるしく進化している。これまで人の手によって行われていた仕事は、AI(人口知能)やロボットに置き換わり、多くの仕事は手法の転換期を迎えている。農業もこの波に乗る必要があると橋本さんは言う。
 このパソコンのモニターに写っている折れ線の赤はハウス内の「気温」で、青は「湿度」、緑は「二酸化炭素」、もう1つの青は光合成が効率よく行われるかを推量する「飽差(ほうさ)*4」だ。きゅうりの成長に最適なハウス内環境は気温が25度で湿度が75%、飽差が3-6g/㎥とされている

モニターに映しだされたハウス内環境のデータ

 この「環境制御システム」を使い最適な数値に近づけるようにハウス内環境を整えている。雨が降れば設定した雨量に応じてセンサーが作動し屋根が自動的に開閉する、風速7m以上の風が吹くと、窓を自動的に閉めるように設定できる。また重要な水やりと肥料の管理は自動水やり装置と、水が通るパイプに連結して自動的に肥料を供給する装置「ドサトロン(フランス製)を活用すれば人力はほとんどかからない。
 遠隔操作ができるのでパソコンが1台あれば、外国にいても仕事ができる。最近、新しい働き方の一つの選択肢として注目されているワーケーション(「ワーク」(労働)と「バケーション」(休暇)を組み合わせた造語)も可能だ。
 現時点で、収穫はアルバイトの方がやっているが、今、AIの画像認識を使って自動選果・収穫ができるロボットをエムケー技研さんと組んで開発している。農業にITを取り入れることで農業がスマートなイメージに変わり若者の就農が増えるのではと、橋本さんは期待を寄せる。

*4 飽差:ある温度と湿度の空気に、あとどれだけ水蒸気の入る余地があるかを示す指標で、空気1㎥当たりの水蒸気の空き容量を「g」数で表す(g/㎥)

窓の開閉も遠隔操作できる
肥料供給装置ドサトロン

農業で地域を活性化

 この先進的な取り組みにテレビ局や新聞社の取材を受けたり、須賀川市内の中学校から招かれて「仕事としての農業」と題して講演を行ったりもしている。
 また、異業種の会社が自社の事業の1つにと視察に来るなど注目されているという。あるメーカーは60歳以降の従業員の働き場所の1つにしたいとか、ある小売業のオーナーは売り上げが落ちてきているので多角経営の1つに農業も考えているなど理由は様々なようである。いつの時代にも農業は無くならない仕事であり、重要な産業であることは間違いない

今後の抱負を語る橋本さん
民泊施設に考えているビニールハウス前の民家

 最後に、橋本さんに今後の抱負を聞いてみた。
 「今、ビニールハウスは13アール(1,300㎡)ですが、この先5年間で1ヘクタール(10,000㎡)にする予定です。
 ビニールハウスの前にスタッフの休憩所として使っている民家があるのですが、将来的にはここを民泊施設にしてインバウンドを含む観光客が訪れる場所にしたいと考えています。地域活性には交流人口も増やすことが重要だと思っています。
 この仕事は楽しいので80歳いや死ぬまでやろうと思っています。農業は私の天職ですから」

福島タネセンター
http://f-seed.co.jp/

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