伝統

世界文化遺産候補富岡製糸場とその周辺を旅する

2014年1月7日

世界文化遺産候補富岡製糸場とその周辺を旅する

明治30年(1897年)に開業した上信電鉄のローカル線でJR高崎駅から揺られること約1時間、辿りついたのは群馬県西部に位置するのどかな町。そこには近代日本の夜明けの面影と風光明媚な日本の原風景が広がっていた。 

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近代日本の始まり“富岡製糸場”
 

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右側は東繭(ひがしまゆ)倉庫で
その奥にブリュナ館

フランス人指導者ポール・ブリュナ一家が
暮らした住宅「ブリュナ館」

 富岡製糸場を立ち上げたポール・ブリュナの情熱

 上信電鉄の上州富岡駅から徒歩15分のところにある富岡製糸場は、明治政府の掲げた日本近代化の二大政策「富国強兵(国内の経済発展を図り軍事力を強化しようとする政策)と殖産興業(生産を増やし産業を盛んにする政策)」の一翼を担うべく明治5年(1872年)に政府が最初に作った官営の器械製糸場。
 工場の建設および指導者として明治政府に雇われたのが当時30歳前半のフランス人のポール・ブリュナ(Mr. Paul Brunat)(1840-1908年)だ。ブリュナは海外から技術者を招聘し、工場で使用する器械類を輸入するとともに、日曜日休日、1日8時間労働、寄宿舎などを導入するなどフランス式の経営を採用した。製糸器械は日本人工女の体形や日本の多湿な気候に合わせた特注品。そこにはブリュナの思いやりとこだわりがあったのだろう。
 建物は西欧の木骨レンガ造と日本瓦の屋根、漆喰の目地など、日本と西欧の匠の技を融合させた和洋折衷。レンガは最も美しいといわれているフランス積み。一段にレンガの長手と小口を交互に積む方式で壁には華やかな図柄が現れる。こんなところにもフランス人の美的感覚の良さが表れていた。建物がエレガントに見えるのには理由があったのだ。

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