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意匠を楽しむ――岡山県倉敷市「美観地区」

2016年5月13日

 

意匠を楽しむ――岡山県倉敷市「美観地区」

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 岡山県倉敷市「美観地区」の白壁の美しい街並みの風景には、懐かしさを感じさせる旅情があふれる。江戸時代から繁栄してきた商人の町は、町並みの文化的な価値に早くから目を向けた先覚者たちの多大な尽力と、地域住民の町を愛する気持があったから、昔のままの姿が現代に引き継がれてきている。どこにカメラを向けても絵になるここの景観は国内外から高く評価され、訪れる観光客を魅了する。
 今回の記事では、観光ボランティアガイドから教わった、見どころが多い美観地区を巡る際にぜひ目を留めて鑑賞いただきたい意匠(工夫を凝らしたデザイン)などを紹介する。

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干拓地での綿の産出と交易の拠点から紡績産業へ

 倉敷の町の繁栄は、干潟を干拓した土地に築かれた。1580年代以降、防潮堤の建設が進められ、町と田畑が拡大されてきた。堤防の外には瀬戸内海が広がり、海運の便が良いうえ、潮の満ち引きを利用して船が容易に倉敷川を上がってこられたことが倉敷の発展の基であった。川は運河のように浚渫(しゅんせつ)され、護岸が補強され、多くの船が行き交い、交易の町としてにぎわうようになった。
 干拓地の土壌には塩分が残り、農産物には適さない。ここでは塩分に強いワタを植えることが奨励され、一帯は綿の大産地となった。その綿を農家から買い上げ、商品として出荷する問屋が増え、そして米や海産物などの物資輸送の集積地として商家も増え、やがて交易の拠点として商業が盛んな町が形成されていった。
 倉敷は城下町ではない。徳川幕府の直轄領として幕府から派遣された代官が治めていたが、商人たちの自治を認め優遇したことで、商人が中心となって地域の行政を担う自治都市として発展していった。
 明治22年に倉敷紡績工場が設立され、原料の綿花を加工して糸を生産した。この工場のみで、明治期の岡山県内全産業の8.9%の生産額を誇り、岡山県の産業の牽引車として大きな役割を担った。倉敷は、商いの町の顔と併せて、生産の町の顔も持つようになった。


300年前から100年前の建物が共存

 美観地区の風景は、白壁土蔵のなまこ壁や町屋(店舗併設の町中の住居)の格子窓などが続く町並みが、倉敷川沿いの柳並木と一体になって、絶妙な調和を醸し出している。建物が軒を連ねる中で町並み全体の統一感が保たれつつ、土蔵、屋敷ごとに細部ではいろいろな意匠が凝らされている。
 建物は江戸時代のものばかりではない。明治時代から大正期に建てられた建築物も混在している。それぞれの時代の建物の持味が主張され、周囲の景観になじんでいるのが美観地区の特徴である。かたや300年近くの古いもの、かたや100年前――そういうものが溶け込んで、全体として重厚な歴史の奥行き感が見る者の目に映される。
(さらに…)

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